ノート オウムと私 その1 ご意見・ご感想はこちらから・・・
今回の問題?に対してノートをアップします。思いついたことを記していきます。
お気づきの資料があればお知らせ下さい。リンク代わりにもしたいと思います。(オウム関連以外のリンクははりません。)
なおこの一連のアップはインターネットなるもののひとつの可能性の試みとしてお考え下されば幸いです。
Yahooオウム
- 山科ハイツ裁判の判決は区分所有法に基づく公共の利益に反するといったものである。
区分所有法は区分所有者の公共の利益をもとに個人の権利に制限を加えるものである。
私たちのマンションは管理組合規定に住居専用をうたってあるから、オウム側の賃貸契約の内容と思われる「オフィス使用」はそれだけで「公共の利益」に反する。
- 山科ハイツ判決はいう。
・・・本件専有部分を、個人的な住居として共同使用し、その中で信仰生活を送っているにとどまる限りは、その属する教団が危険な存在であるというだけで、直ちに被告ら個人が危険な存在であるということはできないからその居住行為自体が共同利益背反行為にあたるということはできない。・・・
「教団が危険な存在であるというだけで」それに属する個人が危険ではないという判断である。ただし、居住行為ではなく教団施設としての利用を認定している。つまり、言い換えれば個人の居住であるなら共同利益背反行為ではなくなる。
- 山科ハイツ判決は解散後のオウム真理教の危険性を認めて、個人の居住ではなく教団施設として共同利益背反行為(区分所有法の限り)であると認定する。教団施設の認定は不特定多数の教義修練、施設内の設置物、等である。
不特定多数の利用は別にして「教団が危険な存在であるというだけで直ちに被告ら個人が危険な存在であるということはできない」
- 世界5月号の「オウム問題」討議、朝日新聞のオウム裁判を担当しているものに寄ればオウム関連2法案の、団体規制法(無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律)は行政処分であるそうだ。観察処分決定の通達参照。
その意味で処分手続きに問題があるという見解。これに関しては東京弁護士会会長なるものの声明参照。
- 朝日の論者はオウム真理教が破防法適用に対する公安調査庁の決定棄却を単に信教の自由の勝利と受け取ったことに問題があるといっている。
そして社会は彼らを受け入れないことにより、オウム施設にしか帰るところがない状況が生まれている。
逆に迫害?を通して以前にまして信者の紐帯が強まる。
裁判、観察処分審査を通じて見れば、元信者(一連のオウム事件により転向した信者)の教団復帰が生み出されているのがわかる。
つまりオウムサイドの「あるべき」責任の取り方と市民社会の「あるべき」態度が問題にされる。
- 柄谷行人は「倫理21」でいわゆる天皇の戦争責任について最高責任者である天皇が責任を不問にされたことが国民の意識を曖昧にさせたといっている。
第2次世界対戦の指導者で昭和天皇のような態度を過ごした指導者は他国に存在しない。それは他国から見れば奇妙(無反省)でしかない。
- われわれは何か奇妙なものを見ているのでないか。
- ホントかウソか知らないが本日(4月11日)の報道に寄れば、アレフなる名称は麻原ショウコウの命名によるという。
事実であると認定されれば現在オウム信者の生活できる場所は法的にはないとおもう。(4月11日)
- 月刊創の編集長に寄れば、オウム問題の解決とはオウム教団の解体であり、オウム教団の解体とはオウム信者を市民社会が受け入れることである。
- 住民サイドは解決を意図していない。解決を意図しない立場もあり得る。
- それは(市民社会の)自己否定か?だとすれば啓蒙の問題か?啓蒙とは態度か?
- 「ドキュメントオウム真理教」の村岡なる教団代表代行のインタビューによれば、一連のオウム事件に対する教団の関与は麻原のコメントがない限り、あるともないともいえないと言うことになる。その意味で教団としては裁判の経過を見守るしかないということになる。
- それは市民社会の判断にゆだねると言うことではないのか。一般論として言えばそのような「教団」の態度はない。
- 教団は自らの責任を放棄していることと同義である。麻原に聞けばいいのである。
- 教義上のある部分(危険と思われる部分)に関して態度を保留することは詭弁である。
世の中には輸血を拒否する教義も存在する。実際、我が子にさえ、拒否する事件があった。
また、テルアビブで乱射した青年もいたし、白昼、オフィス街のビルを爆破した青年もいた。
それは彼らが別の価値観で生きていることの表明である。
- 村岡なる代表代行は、つまり、同じ教団の仲間が殺人事件を起こしたという認識で事件を捉えていると言うことである。
私的問題にすり替えている。
- 裁判の経過でどういう形であれば受け入れるのかは問題ではないのか。
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