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ーーちゃん
ナギの森を歩いていると
呼ぶ声がして、
母か。
汗をかいて歩いて
朝の森で声に振りかえると
固い葉の先に
水のたまが光っている。
声はたしかそんな辺りからした。
ぼくも、いつかこんな森で
ひとを呼ぶんだと思う。
草の葉をすべる水のたまとなって
振り返るひとの
驚いた顔に
うふふふと見えない楽しみを
笑うんだと思う。
西村博美「声が」より
人間が自己の「非有機的身体」となしうる自然とは、今日的な言い方をすると、「制御しうる自然」ということになろう。私たちが「わかる」と思っていることは、「できる」ことなのである。(・・・・)
人間の制御可能な領域にかんして、自然科学は「わかる」のである。しかし自然科学の「わかる」をもってしても、私たちはなお人の死を「わからない」と感じている。自然科学の「わかる」は、どうしても私たちの実感に「わからない」という余白や過剰さを残す。この余白や過剰さは、いったいどこからやってくるのだろう。(・・・・)
私たちが死を「わからない」と感じるのは、死が制御できない領域に属する事柄であるからだろう。言い換えると、私たちは「わからない」という仕方で、制御不可能な領域のことを「わかろう」としているのである。
どんどん生長する 天野忠
俺はこのごろどんどん生長するようだな
どんどん年をとるばかりか
俺の運命は皮を剥ぐようにさびれてくる
シャボンを使わなくても
俺のからだからは淡泊で単純なよい匂いがする
俺はかすかに揺れ動いていて
その動きの中心で
冷たく澄きっているものにぶちあたる
そしてぐらつく
涙が出る前にツーンとくる奴
そのツーンとくる奴がきても涙が出ぬ
俺はいきなり年をとる いきなりこつかれる
そして笑いたい程せつなくなる
朝からよろよろして陽なたへ出ると
道の真ん中で向日葵が
まだどんよりと首を垂れているではないか
充実の前のこのひとときの衰えかたは・・・・
俺はどんどん死の方へ生長するんだな
まるで水に濡れた煉瓦のように
しずかだな。