4月29日(金)
- 晴れのち曇り。
- 鯉のぼりが引っかかっておろすことができなかったが、本日、けっこう思案し、なんとか、おろす。
- 昼がはねてからK男クンと虎杖を取りに走る。で、ぜんぜん虎杖と関係がないが、面白いことを聞いた。「電車でGO」というプレステのソフトがあるが、あれは実際の路線どおりになっているらしい。確かに小生も保津峡を走る山陰線の亀岡あたりまでのヤツを見たことがある。で、問題の福知山線の路線もちゃんとあるらしい(調べてみたが当たらなかった・・・、本当にあるのか?)。K男クンの息子のK次朗によれば、その福知山線の路線は難しい部類に入り、なかなか1分半の遅れを取り戻すのは至難の業らしい。リアルな同情?がその世界では寄せられているらしい。しかし、「電車でGO」では40メートルのオーバーランはその時点でゲームオーバーであるらしい・・・。うーむ。
4月27日(水)
- 晴れ。バカ晴れ。
- しかし、それにしても組合はどうしているのだろう。この場でJRの諸君が何を発言できるかはなかなか難しい場面でもある。
- 話は変わるが、昨日、BSハイビジョンを見ていると、歌謡番組を昼から放映していた。三沢あけみ(まだ現役であったのか?)が「みだれ髪」を歌った。なかなかどうして三沢あけみの「みだれ髪」であった。なんというか、やっぱ、「みだれ髪」という歌はなんとも恐ろしく名曲であると思う。もうどうしようもなく美空ひばりである。知らなかったが「みだれ髪」というのは美空ひばりが最後にレコーディングした歌なんですね。星野哲郎作詞、船村徹作曲。これでもかぁ、というコンビである。まぁ、これはどちらをとっても偉大であるが、船村徹さんというのは悲しい調べをどうしようもなくおおきくおおきく奏でる。なんともいえずうまい。小生思うに演歌の人々はこの歌を歌いたくて仕方ないのではないか。なんか、誰もが一勝負かける歌なんだといたく思ったんである。もうすべてこれで、一番組、いろんな演歌歌手に歌わせたら面白いと思うんである。歌の鍛錬というものもいやはや大変なことナンである。
4月26日(火)
- 曇り。休業。
- とりあえず休業なのだ。とりあえず山行きである。というわけで昨日からもう今しかないということで、虎杖取り。昨日は風営法の許可申請をともクンとすまし、遅い提出に怒られながら済まし、昼前から走る。しかし、なんといっても山菜採りで一番楽しいのは蕨取りだと思う。まずは蕨のあるところを探し出し、それが難儀にしてもそれさえ当たれば、あとは楽しい。蕨は見逃すからである。ということで我が田舎でけっこう取ってくる。特に三和町うばらのある斜面は、これはもう、とにかく蕨なのだ、という風情で、堪能致しました。で、帰ってきたのは10時過ぎだが、世は恐ろしいことになっておりました。しかしねぇ、ひとは70何人死亡で悲嘆にくれている。理不尽な死に抗議に明け暮れる・・・。遠いどこぞの国や、イスラエルでは日常的な光景であるかもしれん。60年前は疲れと悲嘆にこの国も明け暮れていたんである・・・。JRよりもっと得体の知れない相手であった・・・。
- おふくろが何故か青春のフォーク全集?なるものを通販で購入したみたいで久しぶりにiPodをいらう。
4月22日(金)
- 晴れ。
- 決算前でどうも気分が乗らん。川床設置作業昨日より始まる。せわしいのう。
- 昨日は気になってK男クンと虎杖を見に行く。まだ早い。次の日程が非常に難しい。せわしいのう。うーむ。
- この月曜日、なつかしいOクンと10数年ぶりに会い、一杯やる。ホント懐かしい。で、少々ビックリしたのが小学の時のI先生がお亡くなりになったということ。もう10年ぐらい前だという。こちらに来てから一度どういうわけか、I先生から電話があったことがある。それはしゃべり方というか、声で、すぐにI先生とわかったが、あれがお別れであったのかもしれぬ・・・。Oクンは何故かけっこう懐かしい人々の近況に関して知っており、それまた少々変な気分でもあった。お互いまったく知らぬ存ぜぬというのが、小生の認識?であったからだ。まぁ、最終、お互いしみじみにはほど遠く、単なる同級生談義のオヤジであった・・・。けっこう、わが身は俗であることを再確認して懐かしい再会は終わったんである。うーむ。
- ところでOクンとの再会に関してはどこで食事をするか、けっこう頭を悩ましたが、最終、串八で決着。これは様々な人にご迷惑をおかけした。が、当日、串八はお休みで、我々は百万遍界隈をうろつくことになったのだが、ふと思い出した小生の知っている懐かしいお店が2軒とも見あたらず、いきなり躓いた。それにしてももん吉までなくなっているとは・・・。あのオッサン、どこで何をしているのだろう?
- そうこうしていると、DVD規格が統一へ向かうと報道されている。それ自体はいいことだろうが、それにしてもたぶん、両陣営相当疲れている証ではないだろうか。小生おもうにiPodショック現象のひとつにしか見えん。なんか、いまさらながらとんでもない変化の渦中にいるような気がするんである・・・。
- ところで高田渡の死去が報道されている。高田渡はいつ死んでもいいような雰囲気があったが、まったく何者にも動じないというか、いわばひたすらという言葉も無縁なひたすらであったように思う。壇上でギターを抱えたまま寝てしまうという伝説はフォーク界の志ん生のような風情であった。しかし、高田渡にしても歌にできる詩しか歌にできなかったんである。まぁ、高田さんにとってはどうでもいいことでしょうが・・・。それはそれで偉大なことのような気もするんである・・・。
4月11日(月)
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