ある日のりこちゃんとともくん

断酒亭日乗8月

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8月20日(土)

  • 晴れ。怪し。毎日、うーむ、というところ。最近はアトラス、プラス、ドコモの雨雲レーダー。ドコモの予報士の解説は雨雲の動き(方向)を教えてくれる。これが非常にありがたい。天気の予報というのは、たぶん難問中の難問なんである。彼らは毎日毎日新しい事象に立ち会っているのだ。あらゆる地域にレーダーを完備し、それぞれの予報士がデーター解析をしたにしても瞬時にデーターは更新されてしまうような世界なのだと思う。大変な世界である。こうなったら気象予報士の勉強をするべきかもしれん。
  • しかし、それにしても厳しい状況だ。バタバタはする。しかし、思うようにならん。うーむ。もう少し、この店の経験値を打破しなければ・・・。経験性とはまこと明晰の対語である。うーむ。
  • ところでなんでこんなもんをこんなときに読んでいるのかは自身よくわからんが「赤塚不二夫のことを書いたのだ」(文芸春秋)という、赤塚の元編集者の本をうつらうつら読んだ(ちなみに「墜落の夏」もうつらうつらの傑作でありました、なかなかうつらうつら考えさせられた)。なんといっても傑作は鳳啓介の「忘れたいことを思い出せない」。もうひとつ、よど号犯人への批判。当時、赤塚不二夫は「どうして、我々はあしたのジョーである・・・で、我々はバカボンのパパなのだ、でないのか」といったらしい。これは最高の批判であるような気もするんである・・・。というか、それが赤塚不二夫のすべてへの態度であるのかもしれん。あやかりたいモンである。天才バカボンをコミックで読みたくなってくる。なんでもDVDもあるらしい・・・。この購入は家人も支持してくれるかもしれん?

8月7日(日)

  • 晴れ。
  • 今朝、気分を変えようと南沙織を聞いてみる。「春の予感」の「皮肉なジョーク、追いかけるのはもうお終いにしましょう〜♪」つーのは、もうこれは南沙織そのもの、といった素晴らしい歌唱というか、もうこれ以上ないやさしいリズム感。しかし、このころは「ふるさと」という言葉が生きていたように思うが、今では死語なのかもしれない。「早春の港」の「ふるさと」はそのようにも聞こえる。ふたたび、しかし、今も昔も南沙織はオッサン泣かせの歌手なのかもしれん。拓郎の「シンシア」然り。この雰囲気は南沙織の現役の頃にはわからなかったことであった・・・。それにしても、小生、ウチの仲居さんの車を動かしたとき、車内からケーウンスクが流れてきて、見てはいけないものを見たような気になったことがあるが、小生のiPod風景、南沙織が流れていることを誰かに見られたら、少々恥ずかしいような気にもなるのであった・・・。
  • ところで昨日ご指摘をいただいたが、ウチのりこさんは8才ではなく、もう10才になったそうであります。そうだったのか。

8月6日(土)

  • 晴れ、雨、晴れ、雨、爆雷、夕刻やっと落ち着く。これまた川床、部屋、川床、部屋、夕刻、川床で落ちつく。なめんなよ!
  • なめんなよ!といえば、ウチの帳場はどこでどうなったんだろう?休日(木)からまったく連絡つかず。けっこうしっかりした変な人ではあったのだが・・・。この時節の突然の行方不明は天気と共にとことんやられたのであった・・・。いったいこれからどうすればいい?去年の再来か。うーむ。
  • 掲示板荒らしにもとことん疲れる。どうしようもない。web自体の認証を考えてはいるのだが。これまた、うーむ。
  • ところで、りこさん、お誕生日おめでとう!りこさんももう8才になります。

8月4日(木)

  • 晴れ。これぞ夏という風情である。暑い。本日は帳場の休みのため、ツライ。電話聞きは誠にけだるい。よくこんな事やっていると思う。うーむ。
  • 昨日は何故か店のモノが多数休暇を取り、家人に助けてもらう。大量にやめられればこういう事態になるのか、と考えるとけっこうゾッとすることである。なかなかツライ一日であった・・・
  • 過日、高見順「敗戦日記」(中公文庫)、吉岡忍「墜落の夏」(新潮文庫)購入。「墜落の夏」うつらうつら読む。あの御巣鷹山のジャンボ墜落が1985年の8月12日のことであったらしい。毎日12時過ぎの就寝前まず5分はもたんのでいっこうに進まんが、これは読ませる。やっぱ白眉は生存者落合サンなる非番中に乗り合わせたスチュワーデスの証言。まこと恐怖である。あれから20年も過ぎたんである。
  • bk1より四方田犬彦「「見ることの塩」(作品社)来る。これは表題とおり四方田のパレスチナ、セルビア紀行。これまた読ませる。が、基本的には四方田の文体はぶってるんである。しかし、おもろいのう。しかし、ゆっくり読む暇はないのう。明日、iPodのすべての曲が刷新?されていれば一日が変わるだろうなぁ。んなことあるわけないよな・・・。