12月31日(土)
- 曇り。大晦日。今年は(も)暇である。
- 昨日のおせち制作は順調にすすみ、昼前にはすむ。Sクンと川掃除をし、ほぼ年末の予定は終了。日野原?さんと小沢さんの広島でのコンサートの模様を見るはずであったが、寝てしまっていた。本橋さんの今回の続編はつまらない。
- 今日もほとんど午前中で終了。
- というわけで何故か、本年はともクンとふたりの年越し。みなさん、どうか、よいお年をお迎えください。
12月29日(木)
- 晴れ。おせち準備、佳境にはいる。が、お断りできないお客様で、こういう日に限って、ということ。
- K銀行。待っている間、葵書房で「やすし・きよしと過ごした日々」(文春文庫)、「AV時代」(幻冬舎アウトロー文庫)、購入。文春文庫はやすきよのマネージャーであったあの木村某の文字通りの回想本。幻冬舎の本橋さんの著作は以前、新潮社Oh文庫?で読んだ、「裏本時代」の続編だと思う。木村某の回想本は簡単に読める。小林信彦のやすし回想本と違うのは、文字通り「きよし」への配慮があり、もっとラディカルな回想?になるのかと思っていたら、そうでもなく、その点では木村某の態度はなかなかかもしれんし、そういう意味では逆に期待はずれでもある。同感したのは名人劇場での成果を頂点と考えるのはちがうんじゃないのか、というくだり。小生もそう思う。だいいち、やすしの事故以前の漫才を関東の人は知らないでしょう。本橋さんの方はまだ目を通していないが、小生と同い年のこの編集者の「裏本時代」はせつない青春回想記であった。なんかそのせつなさだけが強く印象に残っている。今回は副題が「村西とおるとその時代」で、確かにその続編を期待していたのである。記憶では「裏本時代」では「村西とおる」は別名で登場してきたのであった。ちょっと楽しみ。が、今晩は消防当番。うーむ。
12月28日(水)
- 雪のち曇り。朝は雪かき。
- 餅つき。N造園、雪釣りをしにくる。が、すでに遅いような気がするが・・・。なくてもこの大雪、槇?の木は充分雪に耐えていたんである。うーむ。
12月27日(火)
- 雪時々曇り。なんか、毎日雪景色のような気がする。年賀状にかかる。
- 22日に懇意にしていただいている酒屋のKサンの奥様がお亡くなりになる。なんでも5年ほどの闘病らしい。奥様は小生と同い年。うーむ。25日が葬儀だったが、お子様は4人いらっしゃり、上は二十歳、一番下の子は小学6年生であるらしく、これは見ているのがつらい。さぞ奥様も無念だったろう。Kサンは気丈に振る舞っていたが、イヤハヤ、亨先生の奥様もそうだが、夫婦の別れについて考えさせられる。うーん。まぁ、結論は人生都合いいようには行かない。
- 耐震構造偽造事件?。立花隆によれば、事の発端は「きっこの日記」というブログの暴露情報からであったらしい。歌田明弘はなんでもヒューザーの問題の物件を買うところであったらしく、でも、冷静にヒューザーに相対してる。歌田のいうように耐震疑惑を知ってのち、販売したか、どうかのみが問われるところだろう。まぁ、たくましい社長さんである。しかし、内田某の内容をさしおいても、どこにおいても管理会計の名において、徹底的にコストの見直しがされているのは自明だ。まったく世の中おおらかさが皆無になっている。萎縮している。つくづくむなしいではないか。提供する方も買う方も同じ世情のなかで、小さく小さくなっている。小泉なんてものはまったく愚の骨頂である。いずれこのままでは自民党は割れて、民主党も割れて、再編の展望があるかもしれん。根性がないだけで、野党がなびけばあり得る。まったくくだらん。
- 「吉本隆明の東京」(作品社)、昨日来る。どんな本なのか、まったくわからなかったが、これは一種伝記めいていて、読ませる。著者の石関善治郎さんというひとは、マガジンハウスの編集者でもあったらしく、試行の投稿者でもあったらしい。吉本ご本人の家族関係への言及は、私見では初めてのような気もする。川端さんの「墜ちよ、さらば」の世界でもなく、まったく「佃渡しで」の世界なのだ。ちょっと吉本に関して違った感慨が湧いてくる。
12月22日(木)
- 大雪となる。
- 21日にY先生のお宅へ弔問に行く。奥様、お一人お迎えいただく。なんでも10日祭らしく、よかったといえばよかったかもしれん。奥様のさびしげな笑顔がせつなかった・・・。小生、この奥様のファン?であった。その昔、我々の雑誌をタイプしていただいたのは奥様で、小生の幻の詩集の後書きには奥様への感謝の念が記される予定であった・・・。Y先生は素面のときは取っつきにくい、無口な難しい先生であったが、酔っぱらうと饒舌になり、楽しいお酒の酒飲みであった・・・。奥様から定期演奏会の様子や、入院時の毎日をお聞きし、恩人のKサンが、それでも気になったので、新町商店街に出向き、Kサンを尋ねてみる。すっかり商店街は変わり、大げさにいえばもう廃墟?のようでもある。ほとんどの店のシャッターは降りたままで、圧巻は歩行者専用道路というのに堂々と車が走っている。シャッターが半開きというか、反落とし?となっている桐村好文堂のなかに入り声をかけても誰もでてこない。昔の面影はなく、倉庫というか、だだっぴろい荒れた物置のようであり、そこにKサンがたぶん座っているであろう机があまりにもせつなくぽつんと目立つ。ここで鮎川さんや、吉本の現代詩文庫を買ったし、フロイト著作集や、誰の著作か忘れたが、上下本の戦後文学論争史などがやけに目立っていたことが棚ごと思い出される。仕方がないので車まで戻ると、偶然Kサンが帰ってくる。このKサンは小生の高校の頃、毎日やって来て、朝方までモーツアルトやら聞きながら、たぶん社青同の影響下にあった自らの学生運動時の体験や映画談義に花を咲かせたもんである。新しいご自宅に招かれ、近況を報告しあい、別れた。Kサンももうおじいさんナンである。うーむ。
12月18日(日)
- 雪。昨夜、深夜より大雪になる。が、雪は軽い。
- あれから、ずうーっと「河口」(リンクを張り直しました)を口ずさむ、毎日。今日はなんでも福混の第39回定期演奏会らしい。行きたかった・・・。どうなったんだろう?今から思えば小生がお手伝いしたのは第10回定期演奏会であったような気がする・・・。
そういえば、Y先生は、機械好きであった。もちろん、それでもワープロに手を出したのは小生の方が早かったが、先生のシャープ書院の前で、入力談義をした覚えがある。先生はローマ字入力にいち早く注目され、小生にローマ字入力にするとブラインドタッチになると助言された。小生はそれに関し、まったく聞く耳を持たなかったし、当時(どれくらい前になるのか?)、メーカーの入力デモするオネエサン方?もかな入力だったようにも思う。あのとき、聞く耳を持たなかった小生に対し、とまどうような顔つきをされたのが蘇ってくる。もちろん、インターネットはないが、CDはあったように思う。いま、PCや、ネット談義や、iPod談義なんかすれば、のってくるような気がする。今度でたソニーの24bit/96kHz対応のリニアPCMレコーダなんか、もしかしたら注文されていたかもしれん。歌を録音している頃、まぁ、なんでもいいから100曲ほど作ったら、面白いものが出てくるよ、とおっしゃっていた。ウチの調理場のTクンは先生の学校の卒業生である。先生の学校に調理師コースができたのは知らなかった。これは渡りに船で、はやく挨拶に行こう行こうとしていたのだが、結局果たせなかった。今夏、奥様がこちらにお越しいただけたが、先生は鮎を食べられたか。
日が立つにつれ、随分長い時が過ぎたことが実感されてくる・・・。先生、さようなら。
※なお、久留米市民オーケストラ「筑後川を歌う会」による 團伊玖磨ご本人の指揮による、「筑後川」(しかもフルオーケストラ)を見つけました。こちら。エンドキーで最後、ウィンドウズメディアプレヤー試聴になります。ぜひ、終章「河口」、フィナーレの雄大さをお聞きください。「河口」は15分45秒からです。
12月14日(水)
- 晴れ。
- 昨夜はR会の忘年会。疲れる。本日は終日証人喚問。ところで栃木の女の子の事件はどうなった?
- R会へK事務所の先生に送ってもらったが、出かける前にTクンより連絡あり。なんでも田舎のY先生がお亡くなりになったという。急いでいたんですぐ承知し、電話を切り、落ち着いてから田舎のMクンに連絡を入れる。なんでもお葬式は本日(13日)であったらしい。
Y先生は、小生の卒業してきた学校の先生ではないが、恩人のKさんに高校時に紹介され、それからお付き合いさせていただいた。保育園を経営されており、専門は音楽であり、田舎の混声合唱団を指導されていた。この先生は変な先生で我が田舎に宮本常一を連れてきて講演会を開催されたこともあったし、混声合唱団の定期公演に京響のアンサンブルとジョイントされたり、Mクンに多大なる影響を与えた世界の人形師、ローゼルを教えてくれたのも、Y先生である。Mクンのマリオネットの公演時には文化会館の照明器の使い方を教えていただき、そのおかげで我々は当時ちょっとした小屋(ホール)の照明であれば専門的に仕込みをすることができたモンである。ふじやにはあのザワザワザワザワの、「さとうきび畑」を作った寺島尚彦さんを連れてきたこともある。小生はこの先生の所にあった竹毛文庫出版局なるところから、同人誌「行程」を3冊出していただいた。
なんといっても強烈に覚えているのは混声合唱の指導時に確か「アメリカンフィーリング」(サーカス)だったと思うが、出だし「あなたからエアメール〜♪」の「あ」が、四分音符であり、それをもっとはっきり歌え、と何度も指示されていたことだ。小生、その時、楽譜を読むというのはそういうことなのか、と初めて合点がいったように思う。小生が作った歌の録音はすべてY先生のお宅であり、これがやり始めると、まったく妥協なく、別に音楽的にではなく録音的に妥協なく、深夜まで及んだのであった。今となってはホントに懐かしい・・・。
そして、圧巻は混声の定期、京響とのジョイントでの團 伊玖磨作曲、混声組曲「筑後川」。小生のこの時、緞帳のお手伝いをしており、幕横で一人感動していた。いまでも先生の指揮ぶりとあの最終章「河口」、「フィナーレを♪
フィナーレを♪こんなにも、あぁ、予想して♪川は 川は 大きくなる♪」 いまでも目の前に浮かんでくる・・・。先生、さようなら。
終曲(フィナーレ)を
こんなにもはっきり予想して
川は大きくなる
終曲を華やかにかざりながら
川は大きくなる
水底のかわいい魚たち
岸辺のおどけた虫たち
中州のかれんな小鳥たち
さようなら さようなら
川は歌う さようなら
紅の櫨の葉
楠の木陰
白い工場の群れよ
さようなら さようなら
川は歌う さようなら
筑後平野の百万の生活の幸を
祈りながら 川は下る
有明の海へ
筑後川 筑後川
そのフィナーレ あぁ
12月13日(火)
- 晴れ。小雪、舞う。りこさん、マラソン大会またもや中止。
- 京都リコーのKクンは安さを自慢していたが、レンズフードはあまりにも安っぽく、これならきっとそう無理をいったことにはたぶんならないと思う。ただし外部ファインダーを装着するとかなり雰囲気が変わり、ちょっと気分はよくなる。
- 小生、こういうことをしている場合ではないのだが、この間から、実は「カラマーゾフの兄弟」を読んだんである。なぜ、こうなったのかは自分でもわからん。で、続いて「悪霊」を読んだ。大審問官におけるイワンの絶望とスタブローギンの告白は対のような気もするが、が、「悪霊」はわけがわからん。興奮して読んだのはピョートルがスタブローギンにいさんで意見するところぐらい。それでももうはっきりいってなんもする気が起きない。この欄で書く気になったのは、なんでも大江健三郎は1981年時点で8回「カラマーゾフの兄弟」を読んだそうである(「現代のドストエフスキー」(新潮社)読了後探したが見つからないのでスーパー源氏で再び購入)。それで告白?してもよいような気になった。そういえば小生の中学時の音楽の我がK先生は、10年を境に、というか、20代、30代・・・というふうに「ジャンクリストフ」を読み返す、といわれていた。K先生はご存命なら80過ぎだろうから、そのK先生でも6回ぐらいの読み返しということになる。小生が「罪と罰」を読んだのはいったいいつの頃だったろう。なんにも覚えていない。強いてあげるなら「人間は新しい一歩を恐れている云々」ぐらい。なんでもドストエフスキーは「罪と罰」を45歳の時に書き上げたことになっている。ドストエフスキーのシベリア流刑はペリーの浦賀参上前、30歳前後・・・。
小生、これらの小説が理解できる頭脳的な明晰さ?を少年時に持っているとは思わないが、それはそれでよいことのようにも思う。少々その賢さ?は欲しかった気もするが、どだい無理な話である。しかし、昨今の〈犯罪〉、というか、〈世界〉はますますあまりにもドストエフスキー的?予兆に満ちているのではないか。けだるい。本年はあまりにもけだるい記念すべき年となった・・・。
12月12日(月)
- 晴れ。
- 川に倒れたままになっている倒木を処理すべく、コーナンへ行って、チェーンソウを購入。快調に仕事は進んだが、少ししているとチェーンソウから煙が上がってくる。気になって調べているとチェーンオイルを入れるのを忘れておった・・・。チェーンオイルをTっぴいさんに聞いた、片岡へ購入しに行く。なんとか壊れずにはすんだみたい。うーむ。
- 途中、京都リコーのKクンが注文していたGRーデジタルを持ってきてくれる。これは価格コムで最低価格を確認し、リコーに尋ねたのが事の発端。リコーのKクンは価格コムの最低価格を伝えてきた。そこでその価格でレンズフードが付くようなら購入を考えると伝えたところ、そのようになったのであった。しかし、よく考えるとこれまで何台のデジカメを買ってきたことか、投資額を考えるともっといい一眼レフを充分買えるところである。が、小生、一眼レフというのはどうもたいそうなので、そう好きになれないんである。GR−デジタルは単焦点レンズなので、不便だろうし、小生に使いこなせるかはわからないが、たぶん持っていて飽きんと思うんである。ちょっと幸せな気分。
12月11日(日)
- 晴れ。展示会二日目はちゃちゃんさん、りこさん発表会のためダメで行かれず。
- 昼がすんだあと、ともくんと駐車場の雪始末。
- 帰り、二軒茶屋で中学生らしき少年3名がなにやら捜し物をしている模様。そこは昨今のあまりにもけだるい状況に挑戦すべく、怪しげなオッサンとして声をかけ、車のライトで照らしてやることにする。が、すでに捜し物は見つかっていたらしく、彼らはすでに捜し物はすんだ状態で溝蓋を元へ復旧すべく格闘しているようであった。通常だとそうそう気になるモンでもなく、捜し物がすめばそうどうでもよいようにも思ったが、あまりにもその熱心な態度に感動し、手伝うハメになる。ところが、どうしてこうして溝蓋はほとんど余裕がないモンであり、これをピッチリはめこむのは至難の業なんである。なんでも1時間近く格闘しているらしい。しかもコンクリートなんで相当重い。2枚を3角的に持ち上げ、一気に落とそう、というのが小生の指示であったが、最終できなく、もういいことにしよう、とみんなであきらめ、そのままほっといて帰ることになる。結局、彼らには何の役にもたたん、怪しげなオッサンで終わったようにと思う。あぁ・・・。
12月10日(土)
- 晴れ。
- 展示会初日。とりあえず店の展示に付き合い、一度帰り、急いで駆けつけると、入場券売り場に行けとの指示。で、1日、ここにいることになりました。特に両替にはまいった・・・。ちょっと見込みが甘いんではないか。棒金ははっきりいってすぐさまなくなるんである。最終、なんとかなったが、ちょっと疲れました。で、Sくんに頼まれていた、器の後片づけはしなくてよくなったが、なんせ場所が場所なだけにその他のことはまったくなにもできなかった・・・。
12月9日(金)
- 晴れ。
- 鳥居前の雪、片づく。ちゃあちゃんさん、ともクンにうつされ、風邪。
- イラクの自衛隊派遣延長とのこと。思うに小泉はイラクで自衛隊が攻撃にさらされ、死傷者がでることを期待しているのではないか。そういう事態が起これば世論は急激に憲法改正に動くのではないか。報復への正当性へ動くような気がする。
12月8日(木)
- 晴れ。
- F会案内、大急ぎで作る。
- 午後からM会、役員会。
12月7日(水)
- 曇り。5日深夜からとんでもない雪であった。とんでもないというのは降雪量ではなく(降雪も多いにせよ)、重たい雪で、あっちこっちで倒木があり、関西電力はえらいことになったのである。昨日は午後5時くらいまで停電で、今朝見てみると恐ろしげな二の瀬の倒木も処理されていたので朝まで復旧工事は続行中だったのだろう。当方もお宮の木が屋根に倒れてくるわ、いったいどうしてくれる?こっちとらぁ、ない袖振って、昨年瓦を前面工事したばかりなのだ。うーむ。
- ところで最近ウィンドウズの調子が悪い。これまたどういうわけだ?Operaのバージョンアップか、Firefoxのバージョンアップか、そこらあたりから、どうもおかしいような気がする。パフォーマンスを確かめてみると、CPU使用率が不安定でちょっとした操作で100%まで上がる。うーむ。何が影響しているのか、プロセスを見てみても現状わからない。とりあえず12月1日までシステムの復旧でもどし、ウィンドウズのアップデート、ノートンのアップデートをする。Operaが原因とは思えないのでFirefoxを削除。まぁ、とりあえず落ち着いたようには思うが、よくわからん。うーむ。
- 最近気になっていたのは、ウィルコムのW-ZERO3。週刊アスキーの特集で仕入れた連絡先に電話を入れると、でてきたのはシャープの窓口で、なんかそれで合点がいったのであった。これはつまりザウルスなんである。もちろんOSはザウルスではないが。で、当方、現在のNTTのPHSはもうすぐサービス停止になるのでどうしようか、思案中であり、まぁ、タイムリーといえばタイムリーなんである。調べてみると、近辺にアンテナは1本あるみたい。聞くところによると最近のPHSは走行中でもとぎれたりしないモンらしい。問題は通話よりW-ZERO3の操作レスポンスだろう。これは使ってみないとわからないところである。ただし、シャープの初期製品はザウルスの場合、ノロノロから始まった覚えがある。記事上ではいい評価であるが、いまいち信用ならない。うーむ。
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