ある日のりこちゃんとともくん

断酒亭日乗2月

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2月28日(日)

  • 晴れのち曇り。
  • 中信へより観光会の業務を終了し帰ろうとすると、見知らぬ女の人に突然声をかけられる。「失礼ですが、福知山高校の方ではないですか?」から始まり、「そうですが・・・」となり、「芦田宏徳君ではないですか?」となり、「そうですが・・・」となる。なんでも同級生の方らしい。この話はK男クンから聞いてはいた。K男クンが前から親しくしていたお家に、その手の人がいて、その人がいうには中信で以前(小生に)よく似ている人にあったが、お知り合いにその手の人(小生)はいませんか、と聞かれていたらしい。K男クンは子どもが小さい時から家族ぐるみでお付き合いをしていてよく知っているらしい。名前を聞いても思い出せず、小生、女の人の名前はよく知る人ではなかったが、顔を覚えるのは得意かもしれず、見ればわかるだろうとは思っていたが、まったく知らん。話は色々昔の誰々の近況の知らせあいになったが、結局、基本的には話をしているご本人がまったくわからんので、不思議な気分になったんである。うーむ。
  • 夜は当方で遅まきながら村の新年会。長い夜となる。

2月27日(月)

  • 曇り。寒い。昨日暖かかったので急に冷え込んだ感じ。
  • 昨夜、たまたまNHK「週間ブックレビュー」を見ていたら、特集で最近の本屋さんの動向なる特集でこれはおもしろかった。これはなんかやれそうな気もするが、おもしろいだけでもうけを考えると若干無理があるかもしれん。ところでBOOKTOWNじんぼうという、神田神保町の古書店が運営するサイトは素晴らしい。これはスーパー源氏どころではない。検索に連想検索という独自の検索システムを導入し、レスポンスもよく、やればできるというか、これまでがもったいなかったというべきか、よくまとまったというか、これぞ東京という感じ。うーむ。
  • 報道によれば巣山古墳で葬送に使われる船が出土されたという(朝日新聞)。小生、巣山古墳なるものをまったく知らんが、古事記の記載では「喪船」といわれているものらしい。隋書倭国伝では「遺体を船に置き、陸地で引いた」と記されているらしい。いったい死者は「船」でどこへ行くのだろう?ちょっと興味津々。

2月26日(日)

  • 雨。大雨。
  • はとこの結婚披露で田舎。ここでアニキの同級生に出会う。小生、何故、この人を覚えているのか、自身よくわからんが、昔、アイビー系の長髪で、定時制の自衛隊の人たちに文句をいって叫んでいた光景が目に浮かぶ。たぶん、社青同系の人であったのでないか(こっちとらぁ、民青系?であった・・・)。まったく昔の面影はなかったのだが、バンジョーでオーバーザレインボウを弾かれていたので思い出した次第。なんでもキムタクのバックとかもされているらしい。とりあえずそういうことをしていいのか、わからんまま、挨拶に出向くと、奥様も同級生であるらしく、懐かしげにお答えを受ける。しかし、それにしても我が親族は場違いなカラオケの選曲で、あまりにも芸がなさ過ぎる。うーむ。

2月25日(土)

  • 晴れのち曇り。
  • 組合費徴収に回る。
  • フィギュアスケートは荒川静香の金メダルで終わったが、思うに安藤さんは不摂生であったように思う。誰一人、安藤さんのような体型の人はでてこなかったし、4回転を飛んだ頃の面影がない。つまりスポーツは不摂生との戦いなのだ。ふーん。
  • 昨日は久しぶりに「朝まで生テレビ」を途中まで見る。まぁ、よくわからんところがわかるようでわからん論議ではあった。新しい歴史教科書を作る会の理事同士で両サイドに座るというのもよくわからんところ。皇室典範に関する有識者会議の議事録も首相官邸のWebページに公開はされている。講義のようになった高森明勅なるひとの双系主義採用の論議はWebで読むことができる(「男系主義の伝統を超えて わが皇室典範改正論」)。しかし、論議が白熱すればするほど民俗めいていながら、逆にモダンな論議になってくるようにも思える。吉本の「家族のゆくえ」がタイムリーなコメントのような気もしてくる。

2月24日(金)

  • 晴れ。
  • 三月書房まで行って吉本「家族のゆくえ」(光文社)購入。宍戸(恭一)さんがいらっしゃって、「書き下ろしですよ。なんか、こんな大きなメガネを使ってね、もう書き下ろしなんか無理だと思ってたんだけど・・・」「そうらしいですね・・・」などとやり取り。ご自身もお元気そうであった。ペラペラ見ていると、確かに書き下ろしであるが、なかなか何ともいいようのない文体である。まぁ、よくぞというところである。内容は基本的には興味津々。

2月23日(木)

  • 曇り。
  • 高島屋カードとの提携のため右源太。
  • 最近、Dr.コトー診療所に凝っている。このドラマ、1時間、泣きっぱなしのドラマである。で、思ったんですが、最終話の泉谷しげると小林薫のやり取りは圧巻で、もう小林薫のうまさといったら、すごいというモンではない。この演技(というか、セリフ回し)は相当素晴らしいモンであると思う。
  • musicStoreでstoryを購入。TUTAYAでI beliebeを借りてくる。素直で大きなよい歌である。musicStoreで調べてみるとなかった。で、よく考えると断然ネットから落とす方が便利である。料金的にも安いし、手間暇が断然違う。というか、別世界だ。この方向への加速はiPodと同様に進むに違いない。ところでiTunesでCD作成する場合、ディスクを閉じないようにするにはどうすればいいのか。いったん作成するとそのCDはどうも閉じられてしまうようで、追記ができない。うーむ。
  • 茨木のり子の詩は一般化されて確かに語られるだろう。「わたしが一番きれいだったとき」は、しかし、「きれいな眼差だけを残し皆発っていった」という背景が対置されている。それはまがうことなき、戦後詩の出発であった。いまでは戦後詩などとは誰もいわなくなったし、我が同世代の詩人達はあからさまにそのくくりに反対するものもいるし、もとからそのような場所から無縁を宣言?している詩人もいた(例えば谷川俊太郎)。しかし、この喪失、空虚感は戦後詩人達の共有空間であると思う。小生はそのような出発を大事にしたいと思う。

2月21日(火)

  • 曇り。高島屋、最終日。
  • 小生、最近ミスターチルドレンに凝っている。といってもカップヌードルのCMの歌だが。ミスターチルドレンは歌詞的にはポルノグラフティの斬新さには及ばないが、曲は、これは係累のない新しさだと思う。気になるのは歌詞が先か、曲が先か、である。カップヌードルの歌はもうかっこいいというモンではない。文字とおり叫んでいる。これは尾崎豊の叫びではなく、もっと素直な叫びである。なんか刺激される。うーむ。
  • この間、iPodで映像を見ていたヤツに新幹線であったが、ケータイWacthで東京大阪間のワンセグの実験をやっている。これはなかなか楽しい実験。電池の持ちもiPodには充分勝てるというか、問題外。要するに世の中、「暇」がターゲットなのだ。うーむ。
  • M会の3役会で高島屋。ついでに寺町まで行き、KEIANの携帯HDDを買ってくる。これはカメラのメモリーカード専用で、そのままメモリーカードを読み取ってくれる。もちろん、外付けのHDDにもなる。HDD自体は別売り、というか、HDDはついていない。2.5インチを選ぶことになるが、40GBにしておく。J&Pのおにいちゃんがフォーマットと取り付けを\1.000でやってくれた。メモリーカードはどんどん容量が増えてくるし、デジカメの画素数も増えるばかりで、問題は読み取り速度だ。とりあえずはこれでカードの容量を気にせずカメラを使えると思う。
  • 昨日、茨木のり子、死去の報道。だんだんみんないなくなる。
    わたしが一番きれいだったとき
    街々はがらがら崩れていって
    とんでもないところから
    青空なんかが見えたりした

    わたしが一番きれいだったとき
    まわりの人達が沢山死んだ
    工場で 海で 名もない島で
    わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

    わたしが一番きれいだったとき
    だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
    男たちは挙手の礼しか知らなくて
    きれいな眼差だけを残し皆発っていった

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしの頭はからっぽで
    わたしの心はかたくなで
    手足ばかりが栗色に光った

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしの国は戦争で負けた
    そんな馬鹿なことってあるものか
    ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

    わたしが一番きれいだったとき
    ラジオからはジャズが溢れた
    禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
    わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしはとてもふしあわせ
    わたしはとてもとんちんかん
    わたしはめっぽうさみしかった

    だから決めた できれば長生きすることに
    年取ってから凄く美しい絵を描いた
    フランスのルオー爺さんのようにね

    (茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき 」)

2月19日(日)

2月18日(土)

  • 晴れ。
  • 東京行き。M会の全国理事会、会長代理出席。東京の電車はまずわからん。だいたい路線図にでてくる料金表示を見て、お金を用意し、販売機をのぞくとその料金がないんである。これはまったくどういうシステムなのか、わからず、思案したが、結局思案してもわからず、人に聞くのもはばかれ、というのも前に聞いた時、その人もわからずということがあったためであるが、しかし、聞く以外なく、今回の人はよくわかっている親切なお人であった。つまり、路線を選択するキーがあるんである。そうするとその路線に対応する料金が表示される。うーむ。問題はデフォルト画面?もしくは初期表示?にある。最初からどの路線に乗るのか、選択するように指示されていてしかるべくである。まぁ、なんとか、間に合ったが、結局、東京へ行くということは、電車をいかに選ぶか、ばかりで、駅だけを確認し、とにかく人が多いといたく思うだけである。それにしても築地Tの会長さんはやさしいいい人であるなぁ。午後5時前に理事会は終わり、それから東中野でアニキと落ち合い、午後8時50分ののぞみに乗る。ビール1本飲んだら、何故か、気分が悪くなり、吐く。2列前に座っている奴がiPodで映像を見ていた。小生のiPodも確かに古いような気がした。午後11時10分、京都着。東京はえらく近くなったモンである。

2月16日(木)

  • 雨。高島屋初日。暖かい。本来であれば今頃が一番寒いはずナンであるが・・・。
  • 昨日はちゃあちゃんさんのお誕生日の食事をしようと「トンペイ」を求めてお好み屋を探す。目当ての2件はお休みで、偶然通りかかった荒神口の「くれない」のしげサンちで落ち着くと、Hろっさんより連絡あり。なんでも店の警報機が鳴っているとのこと。おふくろさんはお地蔵さんのはずで、取り急ぎ帰ったが、ゆで卵のつけ忘れで、まぁ、この程度のことで終わってよかった・・・。ご近所の皆様、ご迷惑をおかけしました。
  • TUTAYAへよって桂枝雀のCDを5枚、やすしきよしの国立演芸場での漫才のCDを1枚借りてくる。枝雀のCDの前で選んでいるとべにやのK士クンに声をかけられる。TUTAYAのカードは更新切れで、改めて入会申請書を書かされる。データーは残っていないのか、確かめていると最初は期限ですべてなくなるとのたまうので、そういうもんかと思ったが、それはおかしいような気がして、再度確かめてみると、やはりそうではなく残っているみたいなので、じゃあ、この再びの手間はナンだと思い、少々文句を言う。どこかでこのやり取りをK士クンは聞いていたかもしれず、改めてあやしいオッサンの評価となったかもしれん?帰ってからiPodに落とす。

 

2月11日(土)

  • 晴れ。
  • 山口先生を偲ぶ会に出席。この催しの内容はなかなかよかったが、偲ぶ会の最大の欠損?はご本人が不在であること。「居合わせるだけ」でしかないとしてもなんと豊かな喪失だ。不在の死者と共に泣く。泣くことができる、この苦渋、もしくは世界。誰もが俺にとっての(あるいは、だけの)先生という悲しみを披露されていたが、この「とって」の世界は夫婦の場合きわめて別様にあるような気がする。奥様のご挨拶を聞きながら、俺が死んだら、我が家人はかように愛しんでくれるだろうか、ふとつまらぬことが気になりだした。かつて永瀬清子は「悲しめる友よ、女性は男性より先に死んではいけない、女性が男性より先に死ねば誰が挫折する彼を見送り十字架からおろすのだ云々」といったような詩句を書いたことがあるが、まぁ、聖書解釈は別にしても、これはもっと単純にかつて中島みゆきが確か「あした」という歌だったとおもうが、わたしがなんにもないやせっぽちの犬になっても、なんかメチャククチャになっても、その時「愛」を聞かせてくれ、といった「愛」、性的存在である、その何も指し示さない「愛」、そういう生きたものとして「愛」、そういうものではないか。しかし、けっこう、この「愛」もくせものだし、何を言われるか、しれたモンじゃないし、結局、いまさらではないが人間はひとりなのだ。うーむ。
    おまけに、小生、今日のこの日は、先生の思い出話にとことん付き合うつもりで出て来ていたが、お疲れもあったんでしょうが、ふるさとの人も皆けっこう冷たく、後片づけやらでナンやらでそう相手にされなく、さびしい思いのままiPodで拓郎をシャッフルしながら帰ってきた。帰ってきて食卓を囲むと家族のみなさんが常になくやけに愛おしく見えた・・・。

2月9日(木)

  • 晴れ時々雪。予想したより積雪は少なし。
  • 嵐山光三郎の「文人悪食」はおもしろい。前言翻し、よくこんなことをやったと思う。年を取った読み返しというところか。

2月8日(水)

  • 晴れのち曇り。
  • 秋篠宮の懐妊のニュース。小生、なんか不愉快でたまらん。何故、不愉快なのかはよくわからん。が、報道自体が胸くそ悪い。そういう意味では小泉はすごい。だいたい三笠宮がいったい下々と同じレベルで発言してどうなる?皇室たるもの、発言を自ら禁じられた人ナンである。陛下は悲しんでおられるだろう。

2月7日(火)

  • 晴れ。消防設備点検、忘れておった・・・。
  • 免許の更新へ行く。受付は午前10時までと、家人にも確認していたのだが(通知葉書は紛失)、9時30分までであった。9時50分くらいに入ったので少々焦り、午前業務終了仕度らしい窓口で交渉してみると、なんとか通してくださる。今年はというか、この更新期間3年は無事故無違反(免許を取ってから初めての快挙である)で、すぐさま帰れると思ったら、どうも通常?とおりある講習の部屋へ指示されたので、後ろで見張っている警官上がりのオッサンに確かめると、これぞ警官を地で行く感じで「アンタのことはわからん」と字義とおりのたまう。その物言いに少々頭に来たがそこは冷静にしかし力強く「じゃ、どこへ行けばわかる?」と字義とおり尋ねたところ、何番かの窓口を指示された。すぐさま教室を出て「ボク、3年間無事故無違反のはずなんですが・・・、この教室でいいんですか?」「あぁ、無事故無違反5年だよ」「はぁぁ、わかりました」少し、恥ずかしかった・・・。しかし、昔は無事故無違反3年で、つまり、更新時まで無事故無違反を続ければ最低講習?で済んだはずなのだが。むかつく。
    しかし、きょうびの講習もパワーポイントで、なるほど、これは確かにこういうことにもってこいのソフトである。時代はパワーポイントである。うーむ。
  • 帰りにステップバンのドアから糸が出てくるのでホンダによったが休みであった。
  • 葵書房で嵐山光三郎「文人悪食」(新潮文庫)購入。これは暇つぶしにはもってこい。よくこんな暇な仕事をしたモンである。
  • 夜、たまたまNHK「プロフェッショナル」なる番組見る。住吉さんがやっているとは知らなかったが、茂木健一郎とは笑わせる。まぁ、どうでもいいにしても住吉さんはフィギアの安藤某さんに似ていると思うのであった。

2月4日(土)

  • 晴れ時々雪。朝は雪が積もる。冷え込む。
  • またもや、掲示板荒らしが始まる。一月持たずというところか。悲しいのう。むかつく。
  • 中公クラシックスの「存在と時間」は渡邊二郎の改訂新版であるとは知らなかった。が、最近は細谷訳の方に慣れっこになっている。こちらの方が読みやすいとは思う。「存在と時間」は2分冊がよいと思うのである。3冊は煩雑すぎる。今日、以前からうろついている猫がこの寒空の夜のなか泣いている。猫は本当に事物的存在(細谷訳では客体的存在、要するにフォアハンデンザイン?)なのだろうか?ふとそんなことをおもうのであった・・・。

2月2日(木)

  • 晴れ時々時雨。
  • 昨日、三月書房のサイトから知った「Coyote(コヨーテ)」なる雑誌をWebから注文した。三月書房によればふざけた出版社ということらしいが、随分前に発売された模様でもあったので、とりあえず注文してみたというところであった。一応「承りました云々」のメールがすぐさま来たが、なんと、本日、届く。これは驚いた。目当ては「吉本翁に会いに行く」云々の特集。去年の2月のインタビューらしい。これは楽しい。なんと吉本が洋画で覚えている映画に「カッコーの巣の上で」をあげている。なつかしいが、奇妙な気もする。ちょっとその覚えている理由を聞いてみたい気がするんである。

2月1日(水)

  • 晴れ。
  • 川の工事は佳境にはいる。少し驚いたのは工事の進行が早いこと。ここの工事の人たちは孫請けの人たちなのでとりあえず急がないとそう儲けがないということか。しかし、これで川が以前に戻ればいろんな絵が描けるんである。
  • 洛北組合の新年会。べにやさんでお世話になる。総会旅行の行き先をめぐって。すんなりと行き先は決まったが、問題は昼食である。うーむ。