今朝やっぱ早く目が覚めたので、偶然、「NHK短歌」をうつらうつら見ていると(これはたぶん再放送なんだろう)、選者は河野裕子で、ゲストの名前に「新木直人」と出てくる。なんか、その名前、どこかで見覚えがあった。すぐに思い出し、これは下鴨神社の宮司さんの名前ではないか・・・。確か、そんな名前であったような気がする・・・。
ひょんなことから、一応、毎週、お会い?しているんである。が、別段、特に親しいわけでもない。
画面が変わり、選者とゲストが並んだのを見てみると、まさしく宮司さんであった・・・。ちょっとビックリ。(まぁ、落ち着いて考えれば河野裕子がよんだんでしょう。)
まったく知らなかったが、宮司さんは鴨長明の研究者であるらしい。歌もお作りになるらしい。まぁ、それはそうなんだろう。蹴鞠もするらしい。馬にもお乗りになるらしい。
下鴨神社の宮司さんであるとは、そういうひとであるらしい・・・。
で、小生、鴨長明なんか、まったくといって知らないが(行く川の流れは絶えずして元の・・云々ぐらいまでか)、なんでも鴨長明は歌人でもあったそうで、宮司さんが紹介された一首は以下のものでありました。
みぎの手もその面影もかはりぬる我をばしるやみたらしの神(続歌仙落書)
小生がwebで調べた解説では、この「みぎの手」に特別、意味が与えられていない。
(webの解説は以下の通り。
【通釈】川水で洗う右の手も、水面に映るその面影も、すっかり変わってしまった私だけれど、私だとわかって下さるでしょうか、御手洗川の神よ。)
が、宮司さんはこの「みぎの手」に数珠(仏教者)があると解説?されていた。これはよくわかる解説である。
なんでも鴨長明はもともと下鴨神社の禰宜さんの家に生まれ、本来ならば下鴨神社の神官になるはずだったらしい。
webにでている歌を見ていると自身の境遇?の変化とあるべき姿への思いをつづる、その手の歌がある。
みればまづいとど涙ぞもろかづらいかに契りてかけはなれけん(新古1778)
【通釈】諸葛を見れば、何を思うより先に、涙がいっそうもろく溢れ出てしまう。前世にどんな契りを結んだせいで、賀茂の社と縁が切れてしまったのだろうか。
しかし、それにしても、宮司さんは何故、この歌を今日の一首として紹介されたのだろう?何故、鴨長明なのだろう?
なんでも宮司さんも代々、下鴨神社の神官さんのお家のお生まれであるらしい。
昨日の「生き延びるためのラカン」に影響されれば、鴨長明という選択も自身の〈欲望〉への鏡であるかもしれんなぁ・・・。うん?
まぁ、そういうふざけたことは抜きにしてえらそうにいえば宮司さんの鴨長明への興味は人柄としても面白い。
小生、この歌、けっこう身にしみた・・・。