ある日のりこちゃんとともくん

断酒亭日乗11

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11月24日(金)

  • 晴れ。本日、抹茶入りおしるこはかなり出る。お天気でよかった・・・。K男クン、ごめんなさい・・・。
  • 「ミノルホドコウベヲタレルイナホカナ 2006秋ツアー」という、本年の拓郎さんのツァーが始まってるらしい。
    ざけたタイトルのツァーだが、まぁ、そのことはよしとして、なんでも、中島みゆきとの出会いや、『永遠の嘘をついてくれ』が出来た時のエピソード?を披露しているらしい。

    で、拓郎さんは逗子に住んでいる頃、その暮らしぶりを中島みゆきに披露したそうである。拓郎さんのコミュニティの「ネタバレ注意」でアップされている。
    拓郎さんはこうのたまったらしい。
    「当時逗子に住んでいた話をみゆきにした 。5時半起きで庭の手入れしてる 。
    オリーブを育てて、アリンコと話して、カラスを追っ払ってた 。そうしたらすごい曲が出来てきた。」

    中島みゆきは、やっぱそれはないんじゃない、ということで、それはよくわかる気がするが、それにしても、それが、『永遠の嘘をついてくれ』になるとはねぇ。つまり、中島みゆきはとことんバカにしたというか、あきれたというか、悲しかったんだろう。

    しかし、なんともみっともない話ではないか。やるせないが、二人とも、ざけた感じでお話しされたんでしょう。それでも「永遠の嘘」と「愛」をからませるところが、うまいというか、せつないというか、これは「永遠の否定」への意志である。

11月22日(水)

  • 晴れのち曇り。明日よりりこさんは東京。
  • 高島先生の『お言葉ですが・・・』、ペラペラ見出すと、最初の新井白石のお話は、そういえば復活した北大路の『福そば』の文春で読んでおりました。これまた、初っぱなから(「白石晩年」)、いいお話しですねぇ。思うに高島俊男さんというひとは、たぶんほされっぱなし?のひとなんだろう。
    それはさておき、 白石は晩年、不遇(悲惨)で、とにかくオレはエライ、エライ、と誰彼なく伝えようとしたらしい。
    高島先生は白石に「日本の歴史上最も敬意」を抱いてるらしい。そして最後、締めの段を読むとこっちまで涙がでてきそうになる・・・
    「わたしはちかごろ、白石のことを考えると涙がこぼれるようになった。
    ・・・ 先生きこえますか? 三百年後の日本人です。先生が日本の生んだ最も偉大な学者であったことを、みんなよく知ってますよ。先生、語ってください。ご自分がどんなにえらかったかを・・・。どんどん語ってください。喜んで、いくらでも聞きます。先生・・・」
  • まぁ、かように『お言葉ですが・・・』で終わる一日かと思っていたら、お昼間、出かけていたので暇つぶしに葵書房へよると、久世光彦の森繁久彌への聞き書き、『さらば大遺言書』にでくわす。んなもんばかり読んでられるかい、という気もないではないが、これはやっぱ久世光彦の最後ということで購入せねばなるまい。
    この『大遺言書』は、えもいわれぬ二人の雰囲気があって、森繁久彌の形容しがたい人柄が浮かび上がってくる。なんといっても、天皇陛下を好きな森繁久彌の「陛下」という、呼びかけが好きだなぁ、オレ。
    まぁ、それもさておき、とにかく、第1巻か、第2巻か、知らんが立ち読みでよいので、たぶん、このシリーズの初っぱな、山花究(サザンガキュウ、3×3=9と読むらしい)さんという芸人さんを森繁久彌がお見舞いするお話しを読んでみてください。もう、大笑いします。
    芸人さんは、たぶん、皆しがらみ?があり、そうでありながら自由で、最終、ひとりぽっちで、悲しいおもしろみがあるが、それを見守る森繁久彌のやさしい視線が誰にもわかる、名エピソードです。いい遺言です。いわば、森繁久彌が、死んでいった愛すべき芸人達に「・・・きこえますか?語ってください。どんどん語ってください。わたしがあなたのことをよく知ってますよ・・・。」と言っているような気がいたします。

11月21日(火)

  • はれ。
  • 待望の高島俊男先生、『お言葉ですが』第11巻来る。
    文春を解雇?され、この11巻で最終巻(週刊文春連載をまとめたものとしては)?であるらしく、なぜ、こうなったのか、わからんが、高島さん自身、今なお、思案中とのよし。出版は文春からではなく、連合出版なるところ。装丁は文春のシリーズのままである。
    この11巻の内容については、ほとんど知らない。
    なんでもこの最終巻は、自費出版を考えられていたらしい。高島さんの装丁案が「あとがき」にあるが、小生、どっちかというと、そっちの方がよかったような気がする。

    で、この最終巻?には最後に全巻の索引があって便利。 全巻目次を見ていて、今気になるのは「鴛魚の『夜明け前』批判」(第6巻)だが、やっぱ「白川静」はなかったよなぁ、と通巻索引をペラペラ見ていると、「白川静」はやっぱないが、「白川村の大家族」というのに目がとまる。
    「白川村の大家族」というのは、この間の旅行でバスガイドがしゃべっていて気になっていたんである。で、この11巻であるので、見てみると、内容は江馬三枝子と柳田国男についての言及で、「白川村の大家族」というは江馬三枝子の著作らしい。「白川村の大家族」についてではなく、柳田は江馬三枝子に「ほれてた」のではないか、というが高島さんのご意見であった。

    柳田国男は『明治大正史世相編』のなかで、もともと我々の家屋?というのは小屋であり、すぐ作れるもの(移動と逆の意味では壊せるもの)で、のちのちには火事を常態とした意識を持っていたようなことを記している。(渡辺京二の『逝きし世の面影』によれば江戸から明治初期に滞在した外国人は日本の家屋には家具の類が少ないことに驚いている。これはこのような背景があるのかもしれない。)だから、合掌造りというのは不思議な気がしていた。
    白川郷というのは、今では(昔は知らんが)かわいそうなところで、縁側で子供達が寝そべってくつろいでいる?、ほんの前を我々観光客が多数通り過ぎていく。もう生活自体が〈観光〉の対象になっている。〈民俗学〉もあんまり変わりないといえば言えるかもしれないけれども、遠慮気味に擁護すれば、まぁ、観光ではない。
    柳田は「縁」というのは「瓦」以後に作られるといって「縁先」を好む年寄り達を描いているが、小生もいつも「縁先」に横たわっていたおばあちゃんの姿を思い出す。「縁」は光を浴びるものであって観光の視線を浴びるものではないんである。
    少なくとも、今では、柳田が、江馬三枝子に送った「あなたの日和下駄の音が、この深い谷底に響くこと」は、白川郷にはないんである。

    ところで、小生、江馬三枝子なるひとをまったく知らんが、高島先生によると「謎の女」であるらしい。で、まったく趣旨とは関係ないが、高島先生の面目躍如たる、この段、「たった二枚の写真」の文章を引用して本日終わり。
    「一般に戦後の日本人は学歴に関して苛刻になり、学歴の低い者やない者を容赦しなくなった。学校なんかどこを出てようと出てまいと、立派な人は立派だ、つまらんやつはつまらん、というあたりまえのことが通用しなくなった。民主社会はイヤな社会である。主である「民」は学歴くらいしか人を判断する基準を持たない。バカは人の悲しみを理解しようとしない。」

11月19日(日)

  • 雨。
  • You Tubeで『つま恋コンサート』での吉田拓郎と中島みゆきのジョイントが再び見られるようになっていることを知る。

    これはやっぱ本年の「今年度録画すべきライブの最高の映像」(穂先種明さん?)だったと思うんである。というか、吉本風にいうなら拓郎における「最後の拓郎」の立ち姿ではないか。ひとの「最後」は見限られた他者?に語られるんである。

    拓郎の不自然な落ち着きのなさと中島みゆきの意図(熟考された演出?)された堂々ぶり。わざと拓郎の方を見ようとしない。なんとも無気味なふたりである。

    You Tube、5:10の中島みゆきの2番の歌唱が終わったところの笑み、そして5:42の拓郎が歌い出す前の、というか、拓郎の歌唱を見送る時のあの目線と目。怖いというか、寒気がする。
    小生、本日、何度繰り返しこれを見ていることか。うーむ。

    中島みゆきはステージを立ち去る時、バックコーラスの女の子と手を合わせ、何か、伝えた(しゃべった)・・・。
    つまり、中島みゆきもこのジョイントが「永遠の嘘」だったということである・・・。
    ほんと、男と女はせつないのう。
    握手と紹介の前、中島みゆきは拓郎に笑顔を振りまいたが、たぶん拓郎は笑っていなかっただろう。
    これは最終、「おもうろうてやがて悲しき」の典型である。

    拓郎のコンサートは20年ぐらい前に一度だけ京都会館で見たことがある。
    バックはほぼオフコースのメンバーだった。オフコースの解散後のことである。
    京都会館は空席が目立った。
    どこの誰か、業界の人かもしれんが、この「永遠の嘘をついてくれ」について書いているのを見てみると、なんか、よくわかるような気がする。
    「奥尻を救え!コンサート」のビデオ映像は小生のお宝のひとつだが、「ファイト」は練習風景がちょっとでてくるだけ。
    中島みゆきは依頼を受けた時、拓郎節を意識したに決まっているし、確かに中島みゆき自身、拓郎節に影響されていると思う。
    中島みゆきは拓郎論として「永遠の嘘をついてくれ」を書いた。
    しかし、それにしても、あまりにも切ないジョイントである。
    『つま恋コンサート』は見事に31年の時を現前させたのである・・・

11月17日(金)

  • 晴れ。学芸会。
  • 昨日、何故か、桑田佳祐とMr.Chirdrenの桜井クンのジョイント、確か、『奇跡の地球?』を聴きたくなって、iTunesStoreをあたってみると、偶然『Tsunami』をカバーしているグループがあることを知る。

    聴いてみると、なんか、その素人ぽっい、へたくそさ?が新鮮に聞こえ、購入にまで至る・・・。なんか、ゴスペラーズぽっいと思っていたら、そのとおりであるらしい・・・。というか、その別れであるらしい・・・。

    『Tsunami』は「津波」のことなのか、いまもってわからんが、盗作(あるいは元あり)?、桑田佳祐のまさに狂い咲きのような歌ではあると思う。(小生、別段、サザンオールスターズを好きなわけでもないが、やっぱ、桑田佳祐は狂い咲きだと思っている。)

    小生、なんかのテレビで盲目の歌手がこれを歌い上げたのを見てから、カラオケでバリトン風?にマネをしたところ、飲み屋のオネエサン方にかなりうけたので、これまたかなり調子よく酔っぱらっている時に限り、ご披露することにしている。困ったことである・・・。

    しかし、基本的にはこのSmooth Aceの『Tsunami』で、気になったのは一番高いキーを歌っている女の子が原みどり?ではないかと、一瞬思ったことである。
    そうではなかったが、原みどりさんは財津和男との『償いの日々』を歌った人。『償いの日々』はそう売れたわけでもないと思うが、ミュージックフェアでの(確か、原みどりはサングラスをかけていたと思うが)身体を上下に揺さぶりながらのデュエットはけっこう、迫力があった・・・。
    あの歌い方はかっこよかった・・・。

    どこ行った?原みどり・・・。

11月16日(木)

  • 晴れ。夕刻より冷え込む。
  • 今朝やっぱ早く目が覚めたので、偶然、「NHK短歌」をうつらうつら見ていると(これはたぶん再放送なんだろう)、選者は河野裕子で、ゲストの名前に「新木直人」と出てくる。なんか、その名前、どこかで見覚えがあった。すぐに思い出し、これは下鴨神社の宮司さんの名前ではないか・・・。確か、そんな名前であったような気がする・・・。
    ひょんなことから、一応、毎週、お会い?しているんである。が、別段、特に親しいわけでもない。

    画面が変わり、選者とゲストが並んだのを見てみると、まさしく宮司さんであった・・・。ちょっとビックリ。(まぁ、落ち着いて考えれば河野裕子がよんだんでしょう。)

    まったく知らなかったが、宮司さんは鴨長明の研究者であるらしい。歌もお作りになるらしい。まぁ、それはそうなんだろう。蹴鞠もするらしい。馬にもお乗りになるらしい。
    下鴨神社の宮司さんであるとは、そういうひとであるらしい・・・。

    で、小生、鴨長明なんか、まったくといって知らないが(行く川の流れは絶えずして元の・・云々ぐらいまでか)、なんでも鴨長明は歌人でもあったそうで、宮司さんが紹介された一首は以下のものでありました。

    みぎの手もその面影もかはりぬる我をばしるやみたらしの神(続歌仙落書)

    小生がwebで調べた解説では、この「みぎの手」に特別、意味が与えられていない。
    (webの解説は以下の通り。
    【通釈】川水で洗う右の手も、水面に映るその面影も、すっかり変わってしまった私だけれど、私だとわかって下さるでしょうか、御手洗川の神よ。)

    が、宮司さんはこの「みぎの手」に数珠(仏教者)があると解説?されていた。これはよくわかる解説である。
    なんでも鴨長明はもともと下鴨神社の禰宜さんの家に生まれ、本来ならば下鴨神社の神官になるはずだったらしい。

    webにでている歌を見ていると自身の境遇?の変化とあるべき姿への思いをつづる、その手の歌がある。

    みればまづいとど涙ぞもろかづらいかに契りてかけはなれけん(新古1778)

    【通釈】諸葛を見れば、何を思うより先に、涙がいっそうもろく溢れ出てしまう。前世にどんな契りを結んだせいで、賀茂の社と縁が切れてしまったのだろうか。

    しかし、それにしても、宮司さんは何故、この歌を今日の一首として紹介されたのだろう?何故、鴨長明なのだろう?
    なんでも宮司さんも代々、下鴨神社の神官さんのお家のお生まれであるらしい。
    昨日の「生き延びるためのラカン」に影響されれば、鴨長明という選択も自身の〈欲望〉への鏡であるかもしれんなぁ・・・。うん?
    まぁ、そういうふざけたことは抜きにしてえらそうにいえば宮司さんの鴨長明への興味は人柄としても面白い。

    小生、この歌、けっこう身にしみた・・・。

11月15日(水)

  • 晴れ。終日、店前に立ち、落ち葉掃き?
  • 昨日は7時まで眠れた。最近思うのは、小生、冷え性ではないか、ということ。寄る年波には勝てず、夜、目が覚めて困るのだが、最近、靴下をはいて眠るようにしている。すると、少し、ましになったような気がするんである・・・。
  • 斉藤環さんなるお医者さんの『生き延びるためのラカン』(basilico)を昨日購入。この人、文芸評論もされるみたいで若手の有名な人らしい。これは偶然、晶文社のwebサイトを見ていて知り、プリントまでしたことがあるものである。なんせ、表題からすれば読みたくなるではないか。何故か、晶文社からではないが、たまたま立ち寄った賀茂の書店で目に付いたので買う。店前で落ち葉を掃きつつ、休憩がてら、床几に座ってペラペラ読み出すと、バカにされているような文体は別にして読んでしまう。結局、何がなんだか、よくわからんが、わかったようでわからんのが、この手の(精神分析の類?)本。途中、陶芸家?の田舎の連れのIクンが、久しぶりに連絡くれ、少々興奮気味で、理由はなんでも「ついに本物の青磁が出来た、誰もがこの青磁を作りたく、できなかった」ことにあるらしい。なんでもつい今し方、窯から出したところだという。こっちはなんか、よくわからんが、その高揚した気分はよくわかり、世俗的に「そのキネンすべき一枚は、当然、頂戴!」と告げる。ラカンを持ち出すまでもなく、ひとはこうして生き延びる?

11月14日(火)

  • 晴れ時々時雨。昨夜は遅い宿泊客でおまけに本日、そのお客様、ぜんそくの発作でけっこう気を遣う。
  • 夕方、ひょんな事から知り合いになった電子セキュリティのMさんがお見えになる。
  • 昨日、もみじ灯籠へ向けてのお遊び、抹茶入りおしるこがけっこう売れた。週末、お天気さえよければ昨年よりは楽しくなるだろう。それで気分がよくなったわけでもないが、久しぶりにGR-Dにワイドコンバージョンレンズをつけて遊ぶ。これは上高地へいったときに持って行かなかったのが、悔やまれる。で、ミクシィのコミュニティから糸井重里のほぼ日に菅原一剛さんなる写真家の「写真がもっと好きになる。〜菅原一剛の写真ワークショップ〜」という連載があることを知る。この連載は楽しい。はじめてカメラについてよくわかる読み物を読んだ気がする。小生、GR-Dのマニュアルを引っ張り出し、あらためてアジャストキーの設定をし直した。しかし、こうなるとあきらかにややこしくなるのは自明であるので、混乱が常態になる。難しい・・・。うーむ。
  • こういうことをしている場合ではないが、亀山訳『カラマーゾフの兄弟』を読み進んでいくと、ドミートリーとアリョーシャの会話の場面は、三島由紀夫や中上健次の主題であるのがよくわかる気がする。亀山訳は原訳(新潮文庫)と較べると、俗な?気配があるが(あまりにも暇なためこっちを眺めあっちを眺めといった具合になって困る)、三島の『金閣寺』は冒頭、ドミートリーのこの場面がでているし、中上健次なんか、何を思いながらこれを読んでいたのか、リアルにわかるような気もする。しかし、いずれにせよ、んなことをしている場合ではないんである・・・。うーむ。

11月11日(土)

  • 雨。
  • 週刊アスキーから工人舎SA1F00A知る。しかし、もうちょっとましなHPにならないものなのか。探してみるとPCwatchのレビューもある。
    これは興味そそられるものがあるが、問題はモニターの解像度だ。web閲覧にはツライと思うし、仮にテキスト、Office系に使用を限定してもパワーポイントはツライと思う。いまだに使っている小生の10年ぐらい前のレッツノートも、解像度がつらい。小生思うに物理的な大きさとモニターの解像度は関係ないと思う。コスト面を別にすれば、モニターの解像度は大きいほどいいに決まっている。表示の問題はユーザーが決めればいいことである。
    それでも5時間持って、Windowsマシンでこの価格で、テキスト入力に問題ないキーピッチであれば、レビューにもあるようにフォトストレージとか、使い方はいろいろあるだろう。それでもやっぱり、レッツノートに分があるかなぁ。うーむ。

11月9日(木)

  • 晴れ。
  • 湯布院の人気旅館「玉ノ湯」の女将、桑野 和泉さんは、常客のつかこうへいから「正義を振りかざすな」と助言されたらしい。たまたま朝日のweb記事を読んだ。リンクを探したが、もう見あたらない。
    いい年をしながら、小生、少々考えさせられた。 「玉ノ湯」には泊まったわけではないが、お昼をいただいたことがある。夜にはご自慢のバーでお酒をいただいた。
    つかこうへいがどのようなつもりでそう語ったのか、よくはわからんが、小生、経営の資質として大事なことは「素直」であることだと思っている。
    人見知りで素直でない小生のようなものは、どだい経営は無理というモンである。一方、ゲーテの〈行動〉論?もある。良心のない証という、例のヤツ。
    鶴野充茂なるひとの『SNS的仕事術』を読んでも、結局そのことが身にしみる。ブルジョアジー?は要的にはいつも率先してやって来たといえよう(JC、ライオンズ、ロータリーetc)。マスコミュニケーションよりもディスコミュニケーションとのたまっているようではどうしようもないかもしれん。そういう『正義』をぶっこわすこと・・・。うーむ。
  • 吉本の新刊、『生涯現役』(洋泉社)。これはまだ目を通さず。
    笠原芳光との対談『思想とは何か』(春秋社)。これはペラペラ見ていると、結構突っ込んだ議論で読ませる。天皇家の出自をハッキリしゃべり出したのには、少々ビックリする。網野さんの評価は予想どおりであった。

11月6日(月)

  • 晴れ時々曇り。予想に反してよい天気。本日休業。
  • 朝からお火焚き祭の護摩木積み。
    まぁ、これは毎年恒例の村の皆さんのお仕事なのだが、何故か、最近、この作業中、お宮はビールを出そうとしない。酒なら出るのか、という問題が残るが、とりあえず、酒もでないという理解をしておくことにする。(ちょっと回りくどい言い方になるが、酒ならでる場合、以下の論旨は破綻するのでそういう?ことです。)
    以前はこのようなことはなかった。 護摩木積みを、何故、若中がするのかということ自体にはいろいろご意見があるが、なんだ、かんだいいながら、氏子の責務を果たすべく、また、一杯飲みながら、ひとときの憂さ晴らし?でもあったんである。が、何故か、ビール(酒)はでなくなった。お宮からのもてなしは、アルコール抜きになった・・・。聞くところによると?なんでも周りの参拝客に失礼であるとの由。というか、境内でお酒なんか飲むなんざぁ、ふざけたことである、下品である、みっともなぁい・・・というのが、神官さんののたまうところなんである。
    ざけるなぁー!とは、このことである。
    お宮の境内というのは、氏子の語らいの場である。網野善彦流にいうなら〈無縁・公界・楽〉の世界である。みっともないもクソもない。皆、そこでは氏子として等価で、お酒を飲むにはもってこいの場所ナンである?。神官は本来、氏子の面々が酔っぱらって語り合っているのを何より大神様に代わって喜ばねばならない。世間体や見栄で「教育」を語るな! 何が駆逐艦?「鞍馬」の守り神だ!何がもみじ灯籠だ!ざけんなよ!

    岡野弘彦の「折口信夫の晩年」によれば、 折口が柳田をなんかの古墳へ案内する場面がでてくる。そこで二人は係員に怒られるのだが、昔はそんなことはなかったと憮然と二人が怒るんである。
    わたしは 営利や世俗的?評価を追求する宗教者の失墜を信じて疑わない。世も末である。

11月3日(金)

  • 晴れ。
  • 昨夜は宴会で久しぶりに市まめちゃんに出会う。ますますかわゆいのう。小生、なぜか、この舞妓さんのご実家を知っていて、別にそれだけのことで意味はないが、出会うとそれを枕にお話しすることができるのが、自慢。なんでも自分でブログをやっていて毎日、1万件のアクセスがあるらしい。人気ブログのひとつであるらしい。ということで、盛り上がり、今日も二日酔いで調子悪し。うーむ。
  • しかし、YouTubeというのはなんでもあるそうな気がする。で、前から気になっていた吉本が電波少年にでた時の映像がないかと思い、検索してみると、それはない。電波少年のなかにもない。吉本隆明では「60年安保闘争」でヒットする。国会内での演説?でも映像としてあるのか、と思い、見てみたが、んなことがあるわけがない。(ちなみに「柄谷行人」でも「60年安保闘争」が検索結果ででてくるが、いずれも音?としてもでてきません。)三島対全共闘もある。
    しかし、お笑いというか、不愉快というか、圧巻は創価学会のマスゲーム。どこぞの国の皆さんとそっくり。恐ろしい。
    それにしてもいったいだれがアップしてるんでしょうか。 著作権の関係で見られないだろうと予想されるものはやっぱ見られない。それでも映像もこのようにデーターベース化されつつある。ホント、恐ろしい時代です。

11月2日(木)

  • 晴れ。
  • 白川静訃報の報道。白川静の著書?は読んだことはない。一度新書版の何か、読みかけたが、あまりにもその文体も専門的?というか、まったくわからず、それでもレヴィ・ストロースなんかが文字として?でてきたので、面食らったことがあるくらい。まぁ、手元にいわゆる3部作や、簡易版としてまとめられた辞書?はあることはある。が、なんといっても白川静は高橋和己の『わが解体』にでてくる「S教授」である。世間一般?もその雰囲気があまりに大きいような気がする。文化勲章受章時にも長田(豊臣)総長(この総長、1年のときのクラスの先生であった。アメリカ史が専門で当時、学内では民青の奴等からトロツキスト呼ばわりされていた。ホント、バカというか、これ以上は長くなるのでヤメ。)が、この手の思い出話のコメントをしていた。
    が、 小生が白川静で気になるのは我が敬愛する高島俊男さんが白川静にふれられたのを見たことがないことである。高島俊男さんは東大?の藤堂なんとか、という先生のお弟子さんであり、たぶん白川漢字学の敵?のような人であると思う。藤堂なんとか?というのはよく漢和辞典に出てくる・・・。白川静の学会での評価と晩年の世間での評価(文化勲章受章etc)との関係がよくわからん。その意味でもたぶん孤高の学者さんなのか、よくわからん世界である・・・。
  • ところで松坂大輔、メジャー挑戦の報道。なんでも総額\100億の話らしい。小生、松坂は選手としてはよく知らん。選手としてはなんといっても江川の甲子園デビューを覚えているのが、小生の自慢というか、まったき驚きの記憶である。あれは春の甲子園で、相手は大阪の北陽高校で、ピッチャーは有田?とかいった思う。北陽も優勝候補のひとつで有田選手も優秀な選手の評判があったと思う。あのとき、優勝候補の北陽は5回ぐらいまでファウルも打つことができなかった・・・。それぐらい江川の甲子園デビューはすごかった。松坂があの江川と較べてどの程度のものかはまったく知らない。
    小生が気になったのは嫁さんというか、野球選手と結婚する女子アナの皆さんのことである。女子アナはなんで〈野球選手〉なんですかね。
    NHK女子アナウォッチャーを自認する小生としてはNHK女子アナが野球選手と結婚されたのは知らん。NHK女子アナの皆さんは〈放送〉というか、〈報道〉というか、そういったものを担う文化的な使命?があるのかもしれん。だからある種、〈男〉なんだろう。というか、俗な意味でお高くとまっているのかもしれん。が、民放の女子アナの場合、芸能といっちゃ悪いが、その意識があるのかもしれん。が、なんで〈野球〉なのか。なんで〈サッカー〉ではないのか。
    思うに〈野球〉は個性が強いのかもしれんし、「道」があるのかもしれん。旧態依然の体育会。それは女子アナには魅力的なのかもしれん。そういう意味では女子アナを取り巻く世界は、セクシャルハラスメントに満ちあふれたの世界?(すべての世界はそうだというのは別にして)なんだと思う。というか、野球選手はみな子供なのだ。まぁ、単に\100億の未来が好きなだけかもしれんが・・・。

11月1日(水)

  • 曇りのち晴れ。
  • 昨日はひろちゃんを迎えに田舎へ。ついでにさつき保育園により、幸子先生を訪ねる。お元気そうではあったが、亨先生の思い出話をなおやさしげにご紹介される雰囲気がせつない。厚かましくもS高校調理師コース?への紹介を頼む。一緒に付いてきてくださる。
    それから中学の時の国語のK先生に会う。これは偶然、知人の話の中で小生のことをお知りになったらしく、ぜひ、ということで、恐縮ではあるが、お会いすることになった。
    K先生はまったく変わらぬ雰囲気で、お身体の関係でずっとサングラスをかけておられたが、いまもサングラス姿は変わらなかったが、その黒さ?は少々明るくなっていた。 今から思えば、この先生、けっこう男勝りな感じの、あっさりした先生だったのだと思う。当時は随分ご迷惑をおかけした。いろんなことが思い出されるが、まとまらない。