ある日のりこちゃんとともくん

断酒亭日乗12月

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12月26日(火)

  • 雨。豪雨。奇妙な雨だ。今降っているのにまったく気づかず、扉を開けると大雨。
  • 藤原新也『黄泉の犬』(文藝春秋)読む。読みにくい。だが、これは圧巻というか、この年末にとんでもないものを読んだというのが偽らざる印象。
    藤原新也の著書は何一つ読んだことはない。以前といっても遠い昔、『東京漂流』を読みかけたことがあるが、文体になじめず放棄した覚えがある。実際のところ、何をしているかひとかも知らない。カメラマンでいいのだろうか。なぜか、webはかなり前から知っていてちょくちょく覗いてはいた。いつだったか、忘れたが、瀋陽の日本大使館で起こった北朝鮮の亡命事件のコメントはよく覚えている。
    『黄泉の犬』はオウム真理教事件への言及からまず始まる。麻原彰晃の弱視は水俣病に起因しているのではないか・・・。
    オウム真理教に関する一連の書物で、最近目を通したことがあるのは高山文彦『麻原彰晃の誕生』(文春新書)である。まとまった書物で他に記憶があるものは宮内勝典『善悪の彼岸へ』、芹沢俊介『オウム現象の解読』、村上春樹『アンダーグランド』、書名は忘れたがカルトを中心にすえたアメリカ人のものなどだが、いまでは内容はほとんど憶えていない。宮内勝典の本は確か教義的な検証していたような気がする。しかし、これらのどの書物も麻原の盲目の原因として水俣病を指摘してはいない。
    藤原新也は〈戦後〉社会の負の遺産、あるいは変容の兆しとして〈水俣〉を位置づけながら、麻原の暴走というか、怨念の標的を見いだす。
    何より藤原はオウムの若者達の先行者として自身の原点としてのインド漂流を見つめ直そうとする。藤原新也だけがインド体験(教義でなく)の先行者としてオウムに対して特異な位置をしめているように思える。
    小生、存在と不在の確かなものとしての「月と灰」のくだりで寒気がしてきた。大げさにいえば「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というインド原点に『カラマーゾフの兄弟』における大審問官や、全編にわたる独白部分にゾシマ長老のような調べを聞いているような気になった。
    しかし、まとまらない。今年、最高の一作。

12月24日(日)

  • 晴れ。
  • 消防年末警戒が始まっている。2日のみ、出席。
  • 消防でK男クンから、au(携帯電話)の学割で使用していることを聞く。なんでも子息名義の学割料金で使用しているらしい・・・。半額らしい・・・。
    いつでも経費は見直されてよく、もう見直すところもないのが現状だが、それはいい話ではないか。問題は小生の携帯電話は法人名義であること。
    で、さっそく、花園橋のauにともクンと出向き、「この電話、こいつ(ともクン)に使わせたいのですが・・・」といった感じで話をはじめる。
    「番号ポータビリティ」に関する要領は、まず法人のまま契約をし、それから名義変更をする形が一番スムーズとのよし。必要書類はともクンが記載されている健康保険書、個人の公共料金の支払い明細?(要するにその手のもの)、法人、個人の印鑑は持参していたので、法人の書類は必要ではないとのたまう。ちょっと疑問に思ったが、まぁ、要らぬに越したことがないので引き下がったが、肝心の電話機のターゲット、京セラの新型タイプの在庫がなかったので、この代理店は問題外になる。
    一番近くの高野の代理店に問い合わすと、在庫はあるとのこと。で、一連の話を再度すると、法人の印鑑証明が要るとのこと。さもありなん。まぁ、文句をいっても始まらぬし、その方が理に合っていると思われ、逆に信頼することとし、偶然、カバンに書類はあったので、やってしまおうと思い、賀茂へより、くだんの書類を用意する。
    やって来ました、au高野代理店。ともクンは一緒に行くのをいやがったので、小生のみ。
    京セラの新型タイプを前にしながら、話は始まる。で、学割話になると、その新型タイプは対応外で、学割の場合機種は限られるとのこと。で、その対応機種を見てみるとこれはテンションが下がる。これは楽しくない。だいたい、小生の先入観と違い、auの機種ははっきりいって、どれもこれも楽しくない。作っている会社自体がおもしろくない。三洋や東芝、カシオ、日立など、電話機を開け、そのロゴ?が見えるだけで気分は萎える。こうなると経費もクソもない。くらい気分になってくると、マイプランなるものがあって、それだと学割に較べ¥400ぐらいの違いだと対応する女の子がのたまう。そんな違いであれば、それはそれで行こうということになる。当初と変わり、目的は学割目的ではなく、FOMA圏外をフォローするためと自身を納得さすことになっている。
    それからNTTに番号ポータビリティに関する「予約番号」をとるため、連絡を入れる。この電話の女が何をいっているのか、さっぱりわからんことをのたまう。つまり、移行に伴って、いろいろ発生するこれまでのNTTの特典が解消されることを説明するのだが、そんな説明は無用だろうが。つまりは解約をするんである。「予約番号」を聞いているものには「予約番号」を伝えればいいのだ。
    さて、それからプラン選択になり、これがけっこう難しい。よくわからん。FOMAにした時、これは代理店に任せていたんである。 いいかげん、疲れてくる。
    さて、最終、口座振替でつまづいた。auの女の子がいうには法人名義が口座名に代取まで明記されていないと、個人名義(ともクン)の法人引き落としができないという。なんかホントよくわからん話で、これでホトホトイヤになる。もうなんもかんもイヤになり、突然、「やめた」と宣言し、女の子にさよならしたのである。女の子は唖然としながらもコピーした書類を渡してくれ冷静に見送ってくれました。
    ということで、この間、約1時間超。疲れた・・・。家にいる時は携帯はつながらなくてもよいのだ、家につながるんだから、これでよいのだ・・・。経費削減はつまり電話を使わなければよいだ・・・、そうだ・・・、オレはドコモを正しく〈選択〉したんだ・・・。というか、そういうこともどうもでもよく、どうしてこうなるのか、なんか、つくづく、さみしい気分になってきた・・・。なんでオレはいつもこうなのだろう?まったく暗くなる・・・

    「・・・人間は、これかあれかの可能性の中にそのつど立っており、不断に人間はその他の諸可能性であるのでは非ずして、その他の諸可能性は実存的企投のさいに断念してしまった・・・。企投は、そのつど被投されたものとして、根拠であることの非力さによって規定されているばかりでなく、企投自身としても、本質上非力なのである。」(ハイデガー)

  • ところで、今朝から京都新聞の書評で気になっていた藤原新也「黄泉の犬」(文藝春秋)。暗い気分のまま、店が終わってから大垣書店まで見に行く。探すのもめんどくさいので店員に聞くと、ふざけた答え方しかしない。腹が立ち、そのまま電車で四条まで下がり、ジュンク堂まで行く。ジュンク堂にはあった。
    街はクリスマスで賑わっているようでそうでもないような気もする。けっこう歩いたためか、腰の調子が少しおかしく、家のみんなはTっぴーさんちへ集まっているようだが、そういう気分にもなれず、ひとり賀茂へ帰って、カップヌードルで済ます。なぜか、浜ちゃんの「♪〜街はクリスマス、♪お祭り騒ぎ♪」が口につき、歌は別にしてなかなかよいメロディだ、と思うのであった。

12月22日(金)

  • 曇り
  • ひさしぶりに腰痛が出る。
  • というわけでほったらかしにしていた、本年度?大宅賞、梯久美子『散るぞ悲しき』(新潮社)読む。
    巷で話題の映画『硫黄島からの手紙』、『硫黄島の星条旗』についてはまったく知らない。なぜ、今「硫黄島」なのかも、まったく知らない。
    太平洋戦争における「硫黄島」戦は、日本国内よりアメリカではけっこう語りぐさの戦いらしい。それはアメリカにとっても太平洋戦争中、いわば唯一の激戦区で多大なる死傷者をだしたものらしい。 アメリカを悩ましたその戦いの指揮を執ったのが、このノンフィクションにおける栗林中佐である。
    この本によれば「硫黄島」の戦略的な意味は、アメリカにとっては日本本土爆撃を視野に入れた場合、是非とも手に入れなければならない飛行場の中継拠点であり、逆に日本側にとっては本土爆撃を阻止するための死活であった。
    物量とも負けることは明らかなこの戦いに栗林中佐がとった作戦は1日でも陥落をのばすためのゲリラ戦であった。いわばいかに負けるか、だが、アメリカ側を悩ましたのはゲリラ戦法を選択されたことである。当時、日本軍の負け方は「万歳玉砕」であり、栗林中佐の「苦しい死」の選択はアメリカ側にとって想定外の作戦であったのである。具体的にはまずアメリカ側の上陸時には抵抗せず、招き入れ、上陸後、徹底的なゲリラ戦を仕掛けたことにある。上陸時には完成はしていなかったといえ、指揮官赴任と同時にゲリラ戦を選択し、島中にトンネルを掘り、水もなく、武器もない状態のまま玉砕ではなく、「苦しい死」を選んだ栗林中佐に著者が魅力を感じるのはよくわかることである。
    なぜ、栗林中佐はそのような合理的な?選択をしたのかが、この本のテーマである。栗林中佐は陸軍士官学校のエリートとしてはアメリカへ留学し、アメリカの偉大さを経験的に知っていた。つまりは物量、文化的にも勝るアメリカとの戦いに批判的であった。硫黄島が陥落した場合、間違いなく、本土爆撃が始まり、妻や子供達が悲惨な状況に陥る。硫黄島陥落を1日でも延ばすことによって、アメリカの厭世的気分を呼び出し、和平の道が開かれることを想定し作戦を実行したのである。硫黄島の30日にも及ぶ奮闘は、確かに「本土爆撃」の意味を、栗林指揮官が一兵卒に至るまで伝えた結果のように思える。個々の場面はもちろんわからないにしても、万歳玉砕の方が実際は楽?なような気がするからである。しかし、実際には栗林の思いも届かずというか、予想どおりというか、東京大空襲は実行された・・・。「散るぞ悲しき」。
    この本はどっか、本当かねぇ、というところがなきにしもあらずだが、硫黄島の戦いが太平洋戦争の戦史上、特異なものであったことはよくわかる。もう少し大本営側の栗林への視線が描かれてもよいようにも思えるが、そのようなモチーフは当初からなかったとも思える。というか、辞世「散るぞ悲しき」を「口惜しき」に改ざんした指摘にとどめてしまったのが悔やまれる。
    小生が気になったのは、栗林中佐が陸軍士官学校のエリートであったにしても、一般中学からの進級組であったことである。アメリカ留学を選択したのもそこに理由があったわけだが(当時陸軍直径学校?は外国語がドイツ語、フランス語であり、一般学校は英語であった)、陸軍の主流エリートは陸軍士官中学?からの階段的エリート?であった。著者はそこに栗林の視野の広さを認めている。超エリートには、やはり「世界」が求められている。これは教育的確信である。

12月17日(日)

  • 偶然、NHKBSで歌舞伎『元禄忠臣蔵』が放映されているのを知る。

    なんでも国立劇場40周年記念の出し物で10・11・12月と公演されたものらしい。
    これは顔見世がかすむというモンだ?

    吉右衛門さんの第一部は放映自体を知らなかったので見逃したが先週、坂田藤十郎さんから見たことになる。やっぱ吉右衛門の大石を見たかったよなぁ・・・。

    で、今週は幸四郎さんの大石であった・・・。
    これは思わず、ずぅーっと見てしまいました。
    2幕目の「ご一同、長い歳月でござりましたなぁ・・・」というくだりは、もう涙モンである。会場にいる人もみんな泣いているはずである・・・。

    小生、たぶん「大石最後の一日」は顔見世で誰かは忘れたが、見ているはずだが、これはもう松本幸四郎の独壇場である。
    「大石最後の一日」の一番いいところで宅急便のオッサンがやって来たので、涙顔を隠すのが大変であった。
    しかし、オッサンも顔を拭きながら出てきた小生を不審がらず長話をするので、いいかげん頭に来るのであった。
    (オッサンは間違えて注文をしてしまった『つま恋』の記録本を取りに来てくれたのである)

    それにしてもこの、真山青果なるのひとの『元禄忠臣蔵』は、セリフにメリハリがあるというか、セリフにもうこれぞ歌舞伎といった静止?の醍醐味があり、寛美サン風にいうなれば大阪にわか?の本家本元である。
    これは泣かせるよなぁ・・・。
    こんなもんを全編一挙に見られるというは、すごい企画である。
    唯一、えらそうにいえば坂田藤十郎はつらい。顔が丸顔だし、背が低い。つらい。

    しかし、んなことはどうでもよく、やっぱどうしても新劇は負けちゃうんである?

    師走はやっぱ忠臣蔵である。

12月13日(木)

  • とことんけだるい毎日が続いている。

    どういうわけか、偶然、『京都・観光文化検定試験』(通称、京都検定)が気になりだす。
    『京都検定』は第1回目にテキストを購入することは購入した。
    いまでは大人気・好評にあるらしく、商工会議所もホクホクというふうに聞いてはいる。してやったりということらしい。

    テキストは読んだことがあるが、問題は見たことはなかった。
    で、たまたま本年の1級試験をみたのだが、これは手に負えん。確か、昨年、1級試験の合格者が産大で研究者になったといったことを聞いたことがあり、バカバカしいと思っていたら、これはさもありナンである・・・。

    で、1級問題をペラペラ見ていくうち、貴船神社水まつりの式包丁がでている。
    ふと、思いました。
    これはなんか、商売に結びつくんではないか。
    なんせ、京都新聞によると、この試験に1万人も受験者が京都にやってくるんである。
    商工会議所もよく考えたモンで、試験日は12月である。
    秋のシーズンもやっと終わり、師走最中にはまだ早い・・・。
    うまいねぇ・・・、食いねぇ、飲みねぇ、と思わず広沢虎造口調になってくるじゃござんせんか。

    まぁ、そう気づいたとしても、小生、芸も才もなく、とりあえず、webで、いつもやっていることとそう変わり映えもないことしか思いつかん。
    ということで昨日からファイル作成に没頭。
    で、ファイルをいらっていたら、indexファイルが混乱?しだし、訳がわからなくなり、いよいよけだるさは倍増するのであった・・・。

    明日、目が覚めたら、予約の電話が鳴りっぱなし、つーことはやっぱないんである・・・。
    それどころか、明日は料理展示会に顔をださねばならぬし、ということはこの間、酔っぱらったまま出会った、なあんでマイミクか、わからん、組合事務所のKさんに会わねばならん・・・、うーむ。