ある日のりこちゃんとともくん

断酒亭日乗2月

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2月22日(木)

  • 晴れ。
  • 本日、午後1時、AQUA CUBE高畑さんより『陽のあたる翼』CDできてますよ、との連絡はいる。

    これは素晴らしい出来であります!
    チョー感激!

    これはもともとの録音がいいのか、レコードもよかったのか、とにかく音的に古さを感じることもなく、はっきりいって、もし、『陽のあたる翼』がCD化されることがあっても飛びつく必要はないように思うほど、クリアな音質。
    ハイサンプリングを選んでよかったと思うのであった・・・

    自分自身がやったことがないので、評価はむずかしいところだが、たぶん単にコピーしたというわけではないだろうから、謹んで、AQUA CUBEの高畑さんのお仕事に敬意を表します。
    AQUA CUBEの高畑さんはちょっとアルフィーの坂崎さんを若く細めにした感じの人で、自身音楽プロデューサーらしいが、『陽のあたる翼』について、おもしろいですねぇ、と気に入ってくれた。

    なんでも情報によるとポリドールのMR5000番台というのは、復刻CD化が始まるらしく、下田逸郎の『銀の魚』は今月発売される。しかし、それは知らんのである。
    が、小生思うに、キティミュージック系はたぶんダメなんじゃないか。(キティミュージックは、昔、小椋佳がだしたりしていた。つまり、多賀英典?のプロデュースしたポリドール)
    なんとなくそう思うんである・・・、でなければ、まず下田逸郎のMR5000番台であれば『陽のあたる翼』でしょう。

    ということで、まるで新譜のように新鮮な『陽のあたる翼』をまえに気分は上々である。
    この貧弱なPCのスピーカーでさえ、録音のクリア感?はハッキリわかる。もう一曲一曲、曲に感激しているのか、音に感激しているのか、わからないほど涙モンなのだ・・・

    とりあえず、長年のしこり?が、ひとつ消えたんである・・・

2月21日(水)

  • 晴れ。
  • 今日から高島屋。
    で、ついでにパンフを下の倉庫に取りに行ったところ、窓が割られていた。だが、モノが取られた気配はなさそうである・・・、うーむ。
  • ところで、下田逸郎さんのコミュニティがあったので参加し、『陽のあたる翼』をCDにした人はないか、聞いてはみた。反応はなかった・・・
    これはレコードさえあれば、当方で出来ないことでもないのだが、なんせ、レコードがない。
    (レコードがあっても、とりあえずデジタル録音できる機器が必要ではあるが、それは買えばいいことである。)

    『陽のあたる翼』は大学を卒業する時、Nさんという、五島列島出身の下田逸郎さんのファンの方に譲ってしまったのであった。Nさんと小生は下田逸郎だけが接点のお友達であったのでそうなったんである。
    Nさんは、たぶん、小生しか親しくしていた人はなかったように思う。どうしているだろう?

    以前、ネットで調べた時には\9.000ぐらいしたと思う。
    それは躊躇しているうち、売り切れていた・・・

    で、偶然、ヤフーオークションを調べていたら、なんと1件、『陽のあたる翼』、\1.000から出ておりました。
    小生のみの入札で、ありがたく\1.000で落として頂きました。
    届いたモノは割といいもので、何故か、「非売品」とあり、なんか、デモ用のそれなのかも知らん。

    そこで、どうCDにするかだが、これは思案のあげく、この手のお商売のひとに頼むことにする。
    いまさら、レコードプレイヤーを引っ張り出すのもめんどくさいし、機器を手に入れるのもお金がかかる。

    ということで、ネットを調べてみると偶然、近くにそういうスタジオを見つける。
    訪ねてみるとそれらしき粋なオニイサンが出てくる。
    ハイサンプリング録音を使う場合、30分で\5.250。
    45分のカセットテープもひとつ持っていたので、締めて\21.000。
    これを高いとみるか、安いとみるか・・・

    まぁ、とりあえず、明日の夕方には出来るとのことなので、待ち遠しい・・・

    待っていてくれ!
    『この歌』『好きだよ』『悲しい人々』・・・

     

2月16日(金)

  • 曇りのち晴れ。少し寒くなる。
  • 我が家では現在何故か、TVドラマ『結婚できない男』で盛り上がっている。

    このドラマは大げさに言えば、TVドラマ史上、新しいことがひとつある。

    それは「金田の更新」である。

    たぶん、作者は高島礼子をキャスティングしたとき、同時に高知東生が浮かんだに違いない。逆に高島礼子の役がドラマの中では中途半端であるから、よけいにそう思える。
    どちらが先か、あるいは構成しながら、「金田の更新」のスタイル(アイデア)が浮かんだのか、難しいが、「金田の更新」のために高島礼子のキャスティングがあったことはまちがいない。(逆も然りだが、そのあたり、ぜひ、聞いてみたい・・・)
    「金田」は建築士である主人公と対照的な建築士という意味はあるにはあるが、絶妙に無意味な〈人物〉であり、あるときは「音」であったりもする。このキャラクターの使い方はラブコメディーとしてというか、コメディーとして新しい。
    最終話、主人公と「金田」が同じように一人で焼き肉屋で肉を食べているのはドラマとしてはまったく無意味で、これはもう作者の楽しみだけの場面である。三谷幸喜が見ていたら悔しがるだろう?

    これを受けた高島礼子と高知東生はいいご夫婦のように思える・・・

    ところで、このドラマは全編、部屋で主人公が一人、様々なクラッシックを流しながら指揮をするのだが、「ショスタコービッチの5番」が、これまた笑わせる。
    「ショスタコービッチの5番」は今では懐かしい大阪ガス提供『部長刑事』のテーマ曲。思わず「部長刑事!」と叫んでしまうくらい。

    それから、バーンスタイン、インバル、ロストロポービッチと3枚(この三人に別に意味はなくレコード屋で目についただけ)、ショスタコービッチの5番は我が家に常備された・・・

    最近では、ここかしこで突然、ともクンが、このショスタコービッチの5番、4楽章を叫びだす・・・
    親バカとはいえ、これはなかなか、いいんじゃない、と思ってしまうんである・・・

    そして、こういう能書きをのたまうのがまさしくドラマ『結婚できない男』の主人公である???

2月14日(水)

  • 雨。なんでも春一番らしい・・・。
  • パウンドハウスに誕生日ケーキを注文に行く。

    お店にはいると店員さんは注文の梱包詰めというか、作業中らしく、皆後ろを向いている状態。その数、二人。
    お客さんの方はベンチで待機している人が二人、立ったまま注文待ち状態に見える人が一人・・・

    しばらくして奥から、女の店員さんが出てきて、小生の方へ声をかけてくる。すぐさま、先の立ったままの女性が「わたしの方が先に・・・」といった表明をされる。
    「すみません・・・」「どうぞ、どうぞ・・・」といった感じになり、先の状態に戻る・・・

    しばらくすると別の女性の客が入ってくる。ちょっとして、親子連れ(父親と娘の)の客が入ってくる。
    先の状態に戻る。

    仕事を終えた男性店員が注文を聞く。
    後の女性がすぐさま反応し、そのまま注文になる・???

    しかし、ワタクシは黙っておりました。
    まぁ、お店を見ていたわけであります。
    こういう場合は普通、「お待たせ致しました。先にお待ちのお方はどちらさまでしょう?・・・」云々があってしかるべきであり、これではトラベルをお店が招いているようなものである。
    以前、マクドナルドで子供達の前で大声を上げたことがあったので少々免疫があり、まぁ、少しがまんする。

    京都のお店はこの手のモノが多いというか、店員教育が雑というか、〈客〉に甘えているというか、まぁ、よく言えば〈客〉に顔があることを前提とされている・・・。

    まぁ、そこはこちらもそう暇でもないので、次の店員がこの対応をすれば、どうなっているのか、問いただそうと構えていたところ、次の女性の店員さんはしかるべく対応をされました。

    そこで今度は先の女性が気まずい状態になった・・・
    店内にはえもいわれぬ沈黙が訪れた・・・
    ベンチで待っている中学生らしき少女とオバサンは、一番最初の「スミマセン」「どうぞ、どうぞ・・・」の声あるやり取りを見てきたんである・・・

    まぁ、どう見ても、いつもどおり、小生の風情は少々怪しげであり、ベンチの少女も何かやってくれるんではないか、といった視線を送ってくれていたので、ご期待に添うことができなかった・・・。
    オマケに支払をしようとすると、財布の中には支払いできる金額がなく、取りに来た時でよろしいですか?と、最終、少々弱気でパウンドハウスを後にしたのであった・・・

    息巻いたあげく、支払いできない事態を想像すると、これまた少々寒くなる。
    あの中学生の少女は少々物憂い気配もあり、お家で一人孤立し、どこか毅然とした姿を世間に探していたのかもしれない・・・
    あの娘さんに正しい日本のお父さんの姿を見せることが出来なかったの悔やまれるんである・・・

2月13日(火)

  • 晴れ。春みたい。
  • 野暮用ででかけたついでに、丸太町の今村書店に寄ってみる。角川文庫『都名所図会』なるものが目にとまったので購入。レジのオバサンは昔の上品なオバサンではなく、お嫁さんか知らんが、ちょっと下品なバカに見えたが、文字通りのバカで、本を差し出すと「¥300」、とのたまう。ちょっとビックリいたしました。
    小生が手にとって確かめたところでは「¥3.000」であったはずであった。これはどうしたもんか。一瞬、「¥300」か、ともおもったが、そうではないと思う・・・。うーむ、このまま黙っておくべきか・・・。こうして考えている自分自身がうっとうしくなってくる・・・。今日はいいお天気で久しぶりに古本屋さんでものぞこう・・・、いいことあるかもしんない・・・、といった気分であったはずなのだ・・・。
    ということで、一瞬間をおいてから、ざぁとらしく「えっぇ・・・」と言ってしまいました・・・。バカは困りモンである・・・。いったい誰がバカは少々複雑。
  • デリダの『哲学の余白』(法政大学出版局)、bk1より来る。昨日注文が本日。エライ。
    なんで白水社でなく、法政大学出版局なのかはよくわからん。しかし、予告から随分と立っている。一応、高橋さんも訳者名にある。ハイデガーの『カッセル講演』(平凡社ライブラリー)には少々驚いたが、『人間の目的=終末』を少し読んでみると、以前の印象よりも読みやすく、デリダも、こういうように書こうと思えば書けるんである。 しかし、この『余白』に関してはいろんな思い出があり、なかなか感慨深いモンがある。うーむ。