ある日のりこちゃんとともくん

断酒亭日乗8月

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8月10日(金)

  • レッツノートR6ジェットブラックモデル、WinXPタイプ来る。

    レッツノートのジェットブラックモデルは気にはなっていたが、Vista版のみなのでやめていた。
    たぶん、これでこのシリーズ(型)のレッツノートは最終モデルになるだろうとも思っていた。
    次モデルはモニターが変わるに決まっている。

    ところが、WinXP版もでることになった。
    こうなると、これは俄然、所有欲が湧くことになり、思わず注文してしまう。

    昨日、来たが、思っていたよりカッコ悪い・・・
    特に売りであるはずの天板が妙に安っぽく見える・・・

    思えばIBMのThinkPadシリーズ、初めてノートパソコンを購入した時のモデル。
    Win3.1で確かHDDは50MB?しかなかったと思うが、あのつや消しブラックはいまでもカッコよかったと思う・・・
    小生が予想していたレッツノートのジェットブラックモデルは、このつや消しの雰囲気であった・・・
    しかしねぇ、これではシルバータイプの方がどう見ても上品に見える?

    しかし、今さらどうしようもない。
    小生の手元にはレッツノートはWin98版、トラックボールモデルの最終版のWinXP搭載モデル、今回で3台目。
    いずれも動いている。
    思うにこのジェットブラックモデルのRでも充分トラックボールは搭載可能にも見える・・・
    なんでもトラックボールはその仕様から基盤に影響が出るそうであるが、素人目には充分可能に見える・・・
    小生はいまでもトラックボールのファンである。


    しかし、そこは、気を取り直し、予定どおり、今回はこのRにStoryEditorしかインストールしないと決めたんである。
    (それでもやっぱMSofficeは入れざるを得なかった)

    そして紙とおさらばするんである。
    もうどんなにイヤなヤツに見えても、どこでもこのRを取りだし、メモしちゃうんである。
    それがそもそもの購入の動機である。
    このRの大きさは小生の鞄で縦置きにして半分。B5ノート(モニターの大きさ12インチ)とたいして大きさに違いがないように見えるが、12インチノートにはこれができないんですねぇ。これが要ナンである。

    とりあえず今気になるのは松下がこのジェットブラックモデルのバッテリーをいつまでフォローしてくれるのか。
    バッテリーだけ、シルバーというのもシャレにならんもんなぁ・・・

8月4日(土)

  • 阿久悠死去の報道。
    これはやはり少々驚く。
    昨夜は偶然NHKの追悼番組を途中からではあるが、みてしまう。
    オレが生きてきた全てと言っても過言ではない。
    まぁ、余談ではあるが、えらく沢田研二が美しく?見えた。

    確か、蓮実重彦の『反日本語論』に蓮実の奥方が、素晴らしい男の子がテレビに出ていると蓮実に伝える場面がある。
    これは話、というか、本題の枕であったが、本題の方は憶えていないが、素晴らしい男の子の素晴らしさは確かペキンパーとジョン・フォードが好きとその男の子がのたまったことにあった。

    なんで小生がそれを憶えているかというと、その男の子が阿久悠の息子であったからである。
    さらになんでそれが阿久悠の息子であるか、小生がわかったかというと、それは昔、NHKで三波伸助?がやっていた『減点パパ』という番組でのことで、小生が偶然それを見ていたからである。

    これは蓮実の奥方がいうように素晴らしい男の子というより、どうみてもはっきりいってクソ生意気な坊主であった。
    当時、小生はいくつであったか、憶えていないが、今現在の感想というより、その時、クソ坊主と思ったはずである。

    それ以来、小生、あんまり阿久悠を信用していない。
    なんか、すべて大ウソのような気がする。
    たぶん、阿久悠はモダンへの憧れがあるんである。

    だからこそ、自身のウソさかげんが見破られるようで美空ひばりには歌が書けなかったのに違いない。
    だいたい、テレビでのうのうとペキンパーとジョン・フォードが好きというような小学生を披露することの、どこに「切なさ」への視点があるのか。恥ずかしさしかないではないか。

    こう書いていると最近やっと読了した『滝山コミューン1974』と四方田の『先生とわたし』への感想を書きつづりたい欲求が出てきたがそれは別の機会にするにしても、なんか、急にあの時の坊主が思い出されて、どういう青年(オッサン?)になっているのか、えらく気になるんである・・・

    あぁ、合掌。