ある日のりこちゃんとともくん

断酒亭日乗9月

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9月30日(日)

  • 現在のところ、マシンは快調だ!

    CPU温度は40℃前後で落ち着いている。
    これは気になっているところであったが(ナンとなれば、最初はこれまたCPUクーラーの取り付けに失敗していたんである。純正のクーラーの取り付け方法はあまりにもふざけたモンである。これはちゃんとネジ式にするべきである。)、なんとか今のところ動かず付いていると考えていいだろう。)

    U先生の薦めでノートンは削除し、NOD32というウィルスソフトしたが、たぶんこれの寄与でブラウジングはあきらかに速い。
    RAID10の威力を感じるようなソフトの類は、まぁ、使うことないので、クワッドの威力も実際のところはわからない。
    (一応、ウィンドウズが復旧した時に、こっちはもう疲れてへとへとであったが、U先生はたぶん3.0Ghzで間違いなく安定して動くはずだが、そこは控えめで2.8Ghzにクロックアップしてくれているはずだ。メモリーもいらっていた。)
    しかし、クワッドは確かにタスクマネージャーを覗くと下記のようにCPUは4つもあるんである、うーむ。

  • ところで現状、なんでもかんでもStoryEditor)を使い、レッツノートRとの同期はネットワーク経由ではなく、SDカード経由でしている。まぁ、いわば昔のフロッピー経由のような使い方。この方法には別段理由はないが、なんとなく元ファイルをこれの方が確かめやすいような気がするだけである。

    しかし、StoryEditorのレッツノートの方がたぶんフリーのウィルスソフトのせいだとは思うが、PCクラッシュ期間、おかしかった。で、誰のせいでもなくその信頼性を疑うことになった。
    U先生に見てもらうと、このソフトは16ビット製らしい。それがどういうことはわからんが、それだけでU先生は、ボクなら使わないとのたまった・・・。

    で、どうせなら、マシンもいわば新しくなったので、何か、この手の(アウトラインプロセッサー)別のものはないものか、捜してみると、Kacis Noteというものがあるらしい。
    さっそく購入してみたが、かっこよさはStoryEditorに勝ると思う。
    また画像等の貼り付けもいわばワープロのように使えるので、ワードとの比較ならKacis Noteを選ぶと思う。
    最初からKacis Noteを使っていたら、これでよかったような気もするが、今あるStoryEditorのファイルをインポートができない。
    できることはできるが、アウトラインを残しながらのインポートが無理だ。それができないと意味がない。
    やっぱStoryEditorのファイル形式は独自のモンナンである。
    また、StoryEditorのノードの使い方は慣れたからかもしれないが、ホント、簡単で素晴らしい。
    必要な文書(ファイル内にあるいわば個別のノード)は、テキスト形式で書き出し、利用できる。
    この自在性(書き出しファイルの多様性)はもちろんKacis Noteの方が勝っているように見えるが、別段、テキストのみで充分だし、現状それ以外使うこともない。

    ということでやっぱStoryEditorで行くことにする。
    そうかといってKacis Noteは無駄ではなく、StoryEditorからエクスポートし、いわば清書書きするのはワードより楽しいと思う。
    つまり無難に併用である。

    しかし、Kacis NoteはStoryEditorとの比較というのではなくても、楽しいソフトです。
    注意書きや、メモ書きなどの機能はStoryEditorを越えて、まさしくストーリエディターの醍醐味があると思う。
    もうワードなんて少なくとも文書書きには使ってらんない。と思うんである。

9月29日(土)

  • 問題になるのはIDEとSATAとの共存である。
    ブートはSATAのRAID10のドライブに設定してある。
    が、IDEをつなぐとRAIDドライブ(つまりHDD500GB×4台の実容量1TB弱)がBIOS上、認識されない。
    しかし、単純に考えてIDEのDVDドライブは認識されているわけだから、認識されるはずである。

    昨日(28日)、このRAIDドライブの脱着式ケースが到着しているため、いよいよ最後のつめをしなければならない。

    ということで再度、iPodデーターや画像データーが入った、IDE-HDDを再びつなぎ、BIOSを確認する。
    しかし、これは冷静にBIOSをみながら、HDDを探し、ブートを再度設定すると難なく、認識された。

    そして脱着式ケースにRAID10のHDDを4台収め、IDEーHDDを収める。
    (このケースはU先生が調べてくれて、小生のケースに規格的には収まるはず(5インチベイを3基使う縦置きで5台のHDDの収納が可能)であったが、小生のケースにはベイごと、というか、ハードの類をおけるよう小さなカネがでており、それがじゃまで入らなかったが、もうそこはラジオペンチでエイやと押し曲げたら、なんとか入るようになった。)

    ところが、どういうわけか、起動が異常に遅く、IDEーHDDが認識されない。
    再び、ケースから取りだし、準備段階の形?でつなぐと認識される。
    どう考えてもASUSのIDEケーブルが短いので、それが原因ではないかと思い、以前の少し余裕目に見えるケーブルにつなぎ変えると問題は解消される。

    ということでこれでIDEドライブも元通り認識され、iPodデーターも蘇る。

    15日以来、開けっ放しであった、小生のケースは本日やっと滞りなく、元どおり収められた。

    もちろん、雰囲気は以前と変わり、前面には堂々と脱着式HDDケースが目立ち、3.5インチベイにあったPCカードを取り外し交換したカードリーダーがいい感じで収まって、一人悦に浸っているんである。

    【教訓】
    HDDは遅くとも3年ぐらいで交換を考えた方がよい。
    ハードウェアも寿命がある!
    壊れてからでは遅すぎる!
    ということで世の中上手に商売が成り立っている!

    しかし、心から疲れました。トホホ。
    もうこんなことはゴメン被りたい!

9月29日(土)

  • ということで、もうクラッシュ?してからすでに1週間が過ぎ、心も暗く、BIOSが立ち上がった時点で、RAIDはあきらめ、IDEでとにかく業務を復帰させることが主眼となっていた。
    小生の手には負えんし、業務は7日より滞ったままなのだ・・・
    (電源ユニット以外はすべて大丈夫みたいであった。)

    しかし、それからが長い苦難の道になった・・・

    ウィンドウズが立ち上がらない。IDEのHDD自体はデバイスとして認識してはいるが、立ち上がらない。
    つまりHDD自体もなんらかのダメージを受けているみたいなんである。
    もうこれはお手上げ状態で、何もする気が起きなく、ひたすら暗い毎日が続くことになる。
    ということで時間を割いてU先生が来てくれたのが21日金曜日であった。
    RAID5も組んでくれた。

    それからのことはあんまりよく憶えていないが、コピーの前にCHKDSKをかけていなかったのをU先生は悔やんでいた。
    そして、換装前のMBがAMD仕様であったことにU先生が気がついたのである。
    小生の以前の環境はAMDでチップセットも確かVIAの266Aなんとか、というもの。いずれにせよIntelではなく、CPUはAthlonXPであった。
    これは難儀なことであるらしい。
    最終最悪、OS上でOSを立ち上げるソフトがあるらしく、それから起動して使う手があるということになったが、そこからもウィンドウズは立ち上がらなかった。
    U先生自身もここで少々ダメかもしれん、と思ったかもしれない。

    で、24日月曜日、休日、お宮にある、IDE仕様のIntel製チップセットのPCからやってみる方法があるらしく、まずそちらで復旧させようということになる。お宮までPCを持参する。昼前から始まり、なんかやっていることはわからんが、ドライバー類のインストールやら済ませた後、ウィンドウズの復旧インストールが始まり、U先生が少し自信をにじませるようになる。
    RAID5はあまりにも遅いのでRAID10に変更。つまり4個ともHDDを使用することになる。
    そうこうしているうち、まずお宮のPC上でウィンドウズは立ち上がり、SATAへのコピーも完了する。
    まさしくワタクシのデスクトップ画面が蘇ってくる。
    午後8時くらいのことであった・・・

    もうなにがなんやらわからないが、こんなに安堵したことはない。

    それでも問題は残り、当方帰ってきてから、IDEのHDDをつなぐとSATA、つまりRAIDのHDDがデバイス上認識されなくなる。
    ブートの順番ではないように思う。
    おかげでiPodデーターの移行ができていない。うーむ。

9月26日(水)

  • PCがクラッシュというか、調子が悪くなったのは今月7日。

    帰ってくると奥方がPCが固まったとのたまう。
    見てみるとブラウザが固まったままで強制終了も受け付けない。
    仕方がないので電源を落とし、再起動をかけるもウィンドウズは起動しなく、あげくのはて電源自体が入らなくなる。
    電源スイッチを押してもうんともすんとも言わなくなる。かつて経験したことはない。

    これは困りました。
    U先生に連絡を入れると、それはいよいよマザーボードがいかれたか、電源ユニット自体がいかれたか、まずいということになる。
    ただ、U先生はHDD自体は大丈夫だと思う、と答えてくれる。
    ということはデーターは大丈夫だろうということで少し安心する。この安堵がまずかった・・・。

    ということでここはいい機会だし、マザーボードを交換しようということになり、マザーボード、CPU、メモリー、電源ユニット、ついでにどうせなら、RAIDを組み、HDDもSATAに移行しようということになり、一切のパーツ選択をU先生にお願いする。

    U先生が見繕ったパーツは以下の通り。
    MB ASUS P5K Premium
    CPU Core 2 Quad Q6600
    ビデオカード ELSA GLADIAC 786 GT V2.0 256MB
    HDD 4台(日立の500GB×4 RAID5用に3台、別に1台)
    メモリー 2G
    電源ユニット 650W容量

    で、これらのパーツが来たのが15日の土曜日。この日までは単純にMB交換で済むものと考えていた。
    問題はここからであった。

    パーツを組むのは久しぶり(7年ぶり)で、心の中ではU先生がやってくれるんではないかと考えていたが、そこは考えが甘く、そんな暇はないとのたまう。
    仕方がないので、やり始める。
    いまとなってはよく憶えていないが、計画ではまず、
    IDEのHDDのバックアップをアクロニスでまず取る。
    RAID5組む(HDD3台)。
    RAIDのSATAのHDDにアクロニスで復元する。
    こういう手順のイメージであった。

    が、実際にはパーツを組む過程で、電源を入れた途端、電源ユニットから煙が上がる。
    これは恐ろしい自体でありました。
    原因がわからないが何かがショートしたのは間違いない。

    ということでU先生に連絡を入れるが、あきれるばかり。
    仕方がないので急遽、新たなMB、CPU、電源ユニットを寺町まで買いに走る。

    今度はツートップで同様ではなく、それらしきものを購入し、さっそく組みに入る。
    ところが今度はBIOS画面が立ち上がらない。キーボードもモニターも反応しない。
    ファンは回っている。
    U先生もやってきてくれたが、どういうことか、わからない様子。
    どう考えてもCPUに問題があると思うと伝えると、U先生、CPUを取り外し、なっ、なんと、カバーが着いたままなのであった・・・、これにはU先生怒りを通り越して、無言のあきれ顔になる。

    ということでそれなら、クワッドでやれるのではないか(今度はコアデュオの3GBを買ってきたのである)、みんな生きているのではないかと思い、電源ユニット以外、最初に戻す。
    (つづく)